アート・ペッパー初来日公演

……ローリーも僕も、日本で僕のレコードが売れているなんて、いい加減な話なのではないかと思っていたんだ。でも、お互いにそのことは口に出さなかった。せっかくの旅行なのに、相手にいやな思いをさせたくなかったからね。僕のレコード会社の社長であるレス・ケーニッヒさえ、よもや僕に入国許可がおりるとは思っていなかったらしい。

『Straight Life』 アート&ローリー・ペッパー著 スィング・ジャーナル社
Straight Life 表紙

 1977年3月の末だったと思う。職場で配達されてきた毎日新聞の夕刊を見ていた時、非常に小さい記事が目に入った。アート・ペッパーの入国が許され初公演が実現する、という。カル・ジェイーダーというバイブのコンボの一員だそうだ。

 ジャズを聴き始めてまだ日が浅い私ではあったが、アート・ペッパーの哀愁さえ感じさせるアルトにぞっこん惚れ込み、国内盤のみならず、『One night stand with Stan Kenton』といった海賊版っぽい輸入盤まで買えるものはすべて買い込んで、ペッパーびたりの日々を過ごしていたのだ。そのころちょうど復帰第1作『Living Legend』が発売されたばかりで、その音楽を聴く我々の心は、凄愴な麻薬との闘いの人生に強く揺さぶられたものである。

……だから僕の来日に関しては何の宣伝もされていなかった。チケットにもプログラムにも広告にも、カル・ジェイダーのセクステットの名前しか印刷されていなかったんだ。……僕が実際に入国したという知らせが入ると、ただちにプログラムに二ページはさみ込み、ポスターのあいているところに名前を加えるなどの手が打たれたのだが、東京のような大きな都市では時間がなさすぎた。

アート・ペッパー初来日公演チケット半券
アート・ペッパーの記載は無い

 来日を報じる記事を見て銀座の山野楽器に直行し、チケットを購入した。まだほとんど知られていなかったのだろう、前から数列目のいい席を取ることができた。S席で2.800円、恐ろしく安い。公演チケット半券を取っておくような趣味は無いが、この公演のものだけは捨てきれない。取り出してみると、確かに、チケットにはアート・ペッパーの名前は無い。また公演の宣伝チラシさえ無いとのことだった。

 4月5日演奏会当日、仕事も早めに切り上げ、大崎の「ゆうぽうと」にあった郵便貯金ホールへと急いだ。どういうわけか、自伝にあるパンフレットは貰うことができなかった。
 席に着くと、1列前にジャズ評論家の佐藤秀樹氏がすわっておられ、同行の人と一緒に、妙にそわそわとされている様子をうかがうことができた。やはり興奮されていたのだろうか。
 演奏会の前半はカル・ジェイダーのコンボの演奏、クレア・フィッシャーの電気ピアノも、一向に耳に入らない。彼等には悪いと思うが、早く終わってほしいと願ったのを覚えている。

……インターミッションが終わり、僕は舞台のそでに立ち、カル・ジェイダーの紹介を待った。僕はのろのろとマイクに向かって歩き始めた。僕の姿が見えるや、観客席から拍手と歓声がわき上がった。マイクに行きつくまでの間に、拍手は一段と高まっていった。僕はマイクの前に立ちつくした。おじぎをし拍手のおさまるのを待った。少なくとも5分間はそのまま立っていたと思う。何ともいえないすばらしい思いに浸っていた。あんなことは初めてだった。

 アート・ペッパーが登場した。会場からものすごい拍手が起こった。私も周りの観客も立ち上がり、冒頭からのスタンディング・オベーションである。自伝には「5分間」と書いてあるが、もっと長く感じられた。アート・ぺッパーが手で観客を制しなければ、もっと長く拍手は続いたことだろう。カル・ジェイダーら、他のメンバーがあっけに取られていたのが印象に残っている。

 おそらくはジンだと思うが、曲の合間ごとに足元に置いたコップを持ち上げて飲んでいる。最初は水だと思ったのだが、次第にアルコール臭が漂いはじめた。間違いなく酒である。「私が酔っ払っていると思っているだろうが、素面(sober)である。その証拠に、私のもっとも速い曲をやってみせよう」と言って彼が演じたのが「Straight Life」である。聴き取りにくいもごもごの声で、たぶんそう言ったのだろうと思っているだけであるが。

 前列の佐藤秀樹氏は、一曲ごとに大きな掛け声を掛け、毎回斜め後ろの私の方を向かれる。「お前も、もっと声援しろ!」と言っておられるように感じたのだが、ジャズライブ初心者の私は残念ながら声が出ない。そのかわり盛大に拍手した。

……あとでローリーに聞いたが、彼女は客席にいて観客の暖かな愛をひしひしと感じ、子供のように泣いてしまったという。僕の期待は裏切られなかったのだ。日本は僕を裏切らなかった。本当に僕を受け入れられたのだ。やっと報われたのだろうか。そうかもしれない。たとえ何であったにしろ、その瞬間、今までの、過去の苦しみがすべて報われたのだ。生きていたよかった、と僕は思った。

 このくだりを読むと、今でも感動で涙が出そうになる。アート・ペッパーの初来日公演の一聴衆となれたことを、今でも本当に幸せなことだったと思っている。それと同時に、日本のジャズ愛好家の人たちのすばらしさ、誇らしく思う。
 引用した来日の下りは、次の一文から始まっている。

日本への旅行はすばらしかった。

(余白に)

 公演の帰り道、SUさんと友人の方に出会った。やはりアート・ペッパーの公演を聴いてきた帰りだとのこと、それ以来SUさんは、私のジャズの先生である。
SUさんもアート・ペッパーについての記事をアップしてくれました。


 この来日公演のライブ録音が発売されたが、これまで買う気にならなかった。すばらしい思い出だけで十分だ、という思いがあったのだが、この機に購入してみようと思い立った。すでに中古しかなかったが、7月5日ころに到着するらしい。聴かないかも知れない。

 毎週、所用で大崎広小路に出かけるが「ゆうぽうと」は再開発中で、あの郵便貯金ホールはもう無い。

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