毎月のうた⋯⋯八月
節気というのは旧暦、新暦に関係ないので、昔もこの時期が立秋のはずだ。昔は果たして本当に秋が来ていたのだろうか。今年も猛暑である。九月まで暑さが続くとの予報も出されている。ひょっとすると、このままもう日本の秋は無くなってしまうのではないか、などと憂いている。
それでも早朝には、本当にかすかではあるが、風の中に秋の気配を感じられるようになった。『古今集』のあの歌だ。
■ 大岡信 『芝生の上の木漏れ日』八月
八月のはじめは暦の上ではすでに立秋になります。‥‥‥
立秋といえば、『古今集』の《秋歌》巻頭にある、秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風のおとにぞおどろかれぬる 藤原敏行という有名な和歌がすぐ思い出されます。
この歌が及ぼした影響は甚大なものがありました。立秋とは、すなわち「秋風が吹く」ことだということになったくらいです。秋の季節感をまず最初に人々に告げ知らせる風だったというわけです。「時」の移り行きを、目ではなくて、「風」という「気配」によって知るという、より内面的な発見が、後世の美学に影響を与えたのです。
ここでは二つのことが指摘されている。ひとつは聴覚や気配といった感性の拡張、もうひとつは風物の性格づけの固定化ということである。
これら、とくに後者の後世への影響については次のように述べる。
立秋に秋風が吹く、というのはフィクションです。しかし、そういうフィクションの上に『古今集』の世界はできあがっていました。日本の和歌や俳諧という詩歌の世界は、フィクションを受け入れることによって現実をいっそうこまやまに見ることができるようになったという。一種の弁証法的な展開がそこに見られるわけです。
そして、日本の詩歌人がつくり出す世界について、
描かれたのが、大きなフィクション、すなわち現実から超越しているがゆえに、いつまでも現実を超えて長続きする体系になっているという、美観というものの一種の逆接がそこにあります。‥‥‥
いずれにしても、詩歌の世界では、秋風は立秋になると必ず吹くことになっています。なぜそうなったか、といえば、それは『古今集』の《秋歌》巻第一の歌が名歌だから、ということになったのです。
このような『古今集』における風物の性格づけの定型化ということは、日本文化の根幹にも触れる問題でもあり、大岡信の別著なども併せて、改めてとり上げたいと思う。
■ 三好達治 『諷詠十二月』八月
三好達治と言う人は暑い夏が嫌いなのか、それともお目にかなう夏の詩歌がないのだろうか。『諷詠』の八月は先月に続き歳時を避けて、送別の漢詩を取りあげている。
最初に王維の「送元二使安西」、送別の最高傑作詩のひとつである。
支那の詩には送別の作が甚だ多い。王維の陽關の曲は‥‥勸君更盡一杯酒 西出陽關無故人は我々の耳に熟しすぎていささか陳套の感はあるが‥‥句はもとより甚だいい。陽關を西に出づれば故人があるまいぞ、といふのはやさしき思ひやりであるとともに、いふ人がまたその「故人」であるのが措辭によつて露はでなく品よく裏まれた上で親しき呼びかけとなつてゐる。‥‥唐詩の妙處をここにも見る。この詩の千古に喜ばれるのはこの結句の妙ばかりによるのではあるまいが、誦し終つて餘情の靉靆として醇ロウ〔❊〕「一杯酒」を含んだやうな感のあるのは、煎じつめれば僅々章末三四字の微妙な心理のとぢめに負ふところが多からうか。「陽關三疊」とか申して、この詩を誦するのは、起句の外三句は疊んで重誦するのが法ださうだが、恐らく一誦して經過しがたいものがそこにあるからでもあらう、とうなづかれる。
醇ロウ ロウは酉偏に翏 太字は原文では傍点
詩全篇は引用されていないので、ここに引く。
送元二使安西
渭城朝雨浥輕塵 渭城の朝雨輕塵を浥〔うるお〕し
客舎靑靑柳色新 客舎靑靑として柳色新たなり
勸君更盡一杯酒 君に勸む更に盡にせ一杯の酒
西出陽關無故人 西のかた陽關を出づれば故人なからん
(第二句は「客舎の靑靑たる柳、色新〔あらた〕まる」と読むべきか?)
漢詩、唐詩に「送別」の詩が多いのは確かである。これら送別の詩を読む我々が気づくのは、当然かもしれないが、「送る」側から「送られる者」を思って詠んだ詩に名作が多いことである。しかし送る者の心の表現にはついては留意しなければならない。よく考えると、別れというものは「送られる者」以上に「送る者」の心に大きな空虚感を残すものである。送られる者には、いかに厳しく嶮しいものであろうと前途がある。送る者の心には、空しくあいた穴が残るだけだ。送られる者が親しく大切な人であるほどそうである。
三好達治のあげる王維のこの詩、および次の李白の名詩「送友人」(靑山北郭に横たわり‥)に共通するのは、送る者、つまり作者の心の空虚感、悲しみを直接には語らないということだ。それだけ逆に憂愁は内に深くこもる。
ちなみに王維詩の「陽關三疊」、様々な重誦の仕方があるらしいが、私は第三、転句のみを反復するのがいいように思う。「君に勧む、更に尽くせ一杯の酒」、君に勧めつつも作者の心の空虚を覆い隠そうとする思いの深さを感じることができるからだ。結句の三四字に劣らずこの転句は重いと思う。
三好達治はさらに司空趙曙と盧綸の送別の詩を取りあげる。しかし前の王維、李白の送別詩とは趣きが違っている。送る作者の心、悲しみを歌うからだ。盧綸のものをみてみよう。
送李端 盧綸
故關衰華徧 故關衰華徧〔あまね〕く
離別正堰悲 離別正に悲しむに堰〔た〕へたり
路出寒雲外 路は出づ寒雲の外
人歸暮雪時 人は歸る暮雪の時
少孤爲客早 少孤客と爲る早く
多難識君遲 多難君を識る遲かりき
掩泣空相向 掩泣〔えんきゅう〕して空しく相向ふ
風塵何所期 風塵何の期す所ぞ
この詩を三好達治は次のように解する。
人歸の二字は、盧綸の外にも疎らな人影の歸りゆくのにうちまじつて、とぼとぼと引きかへす、その己れの姿を假りに表にしないいひ方で、それはまだ現在、己は立ちつくしてゐるのであつて、なほ歸路に就かうとはしない、(いづれは歸らなければならないのだがーー)その間の氣持をも含めてゐるものと見なすがいい。そこで忽ち次の語が起るのである。次の語は、自分は年少はやく孤児となつて故郷をはなれ若くから他國の客となつた。さうして多く艱難を徑たが君を識つて友人となるのが不幸にも遲きにすぎた。と突如としてすぎし身の上を語り出す‥‥結句の深沈たる餘情もさることながら、少孤爲客早と身の上話に轉ずるあたりが、この詩ではとりわけ印象的で忘れがたい氣味合ひを覺える。
盧綸は分かれに際して自らの空虚を覗き込んでいるのだ。彼の詩は、王維、李白のものと比しても近代的、浪漫的なものだろう。
三好達治の選詩は、送別の悲しみの表現を、その両極から取り上げているように思う。