毎月のうた⋯⋯十月
十月に入っても、今年の夏は暑さを置き忘れているようだった。数日おきに夏日が戻ってくる。しかしながら、夕方にはどうにか“秋来ぬとさやかに”感じられるようになってきた。

こうなると日本酒の出番である。
日本酒は世界で最も複雑な製法の酒である。女の子の素足で踏みつけて作るようながさつなものとは訳が違う。清浄なのである。その味を決めるのは、水と杜氏の技、それに酵母の技術なのだそうだ。水は現在まだ良好さを保っているが、今後その質を落としていく可能性が高い。杜氏は数年前に平均年齢七十歳近く、後継者が出来るかどうかだ。一方酵母の技術は永年の研究で、近年最高のピークに達しているとのことである。
この三要素を曲線にして重ね合わせると、今、現在こそが日本酒最高品質の時だということがわかる。日本人たる我々、今こそ日本酒の飲まなくてはならない。
■ 大岡信 『芝生の上の木漏れ日』十月
大岡信の十月はまさに“酒”である。非常に面白いエッセーだ。その主な論点は二つ、近代日本における酒の飲み方の孤独化、および短歌と俳句での酒のうたい方の違い、である。
第一の「孤独化」については、まず次のように述べる。
飲み物として酒が愛されるようになると、酒席の団欒が重要になります。中世、近世の歌におおぜいの人が一緒に酒を飲むシーンが多いのはそれゆえで、その背景には、酒が信仰と深くかかわっていたからです。人がその場に何人もいて、そこで初めて信仰的な行事も行われるだろうから、ひとりぼっちで酒を酌んだりすることはありえなかったのです。………(略)………
ところが近代短歌あるいは近代俳句になってくると、独酌の酒を詠むことがふえてきます。これは近代人が信仰の世界と切り離されてくるということと深くかかわっているからではないでしょうか。それだけに、昔のようなおもしろい歌は近代において少なくなるのです。
“神人共食”といわれる宴の席の主役の一人が酒だったのだ。そして近代化の中での孤独化を代表する歌人として、若山牧水をとりあげる。
近代の酒の歌になると、ぐっと孤独になります。近・現代の歌人の中でとりわけ有名なのは、生涯“旅と酒”を愛した若山牧水です。
かんがへて飲みはじめたる一合の
二合の酒の夏のゆふぐれ
あな寂し酒のしづくを火におとせ
この夕暮の部屋匂はせむ
白玉の歯にしみとほる秋の夜の
酒はしづかに飲むべかりけり
そして酒の飲み方の孤独化について近代文化史的な観点も交えようとしているのだろうか、次のように描き出す。
酒の文化は近代以後の日本にもはっきりあるわけですが、とりわけ、孤独な方向にむかう酒の文化があったということが一つの特徴ではないでしょうか。もちろん逆に、わいわい騒いでいる酒の歌もありますが、そういう歌の大半は、ほとんど読むに耐えないのが実情なんです。
太字は原著では傍点
近代以後の人間は、心理的に言うと、おおぜいの人といることを好む場合でも、本質的にはそこからストンと落ち込んで、自分自身の孤独な心に酒の雫がたらんたらんと垂れていくような、そういう状態を好むようである。それが近・現代の歌の特色ではないかと思います。
ここで少々若山牧水の酒の歌を追ってみたい。
大岡信のひく上の三首は牧水初期のものである。一般に人気が高いのは、この「歯にしみとほる」や「空の靑海のあを」など、初期のものが多いようである。しかし、荷風が大きく変わるように見える『みなかみ』以後、牧水の酒への向き合い方も変わっていくのである。
前出の初期三首は孤酌ながらも、酒の味わいを感じることのできる歌だ。中期から晩年の酒の歌をみてみよう。
残雪行 (『朝の歌』)
酒戦〔いくさ〕たれか負けむとみちのくの
大男どもい群れどよもす
これは東北での、おそらくは支援者たちとの酒席での歌であろうが、外からの目である。牧水は彼らの中にはいない。大騒ぎの酒宴の中で牧水もやはり飲んでいただろうが、彼の心は孤独であり、酒の味も苦いことだろう。大岡信のいう「ストン」である。
それ以降の歌を数首、まとめて見てみよう。
独酌 (『白梅集』)
おひおひに酒を止むべきからだとも
われのなりしか飲みつつおもふ
罹病禁酒 (『さびしき樹木』)
ほほとのみ笑ひ向はむ酒なしの
膳のうへにぞ涙こぼるる
或る頃 (『くろ土』)
酒やめてかほりになにかたのしめと
医者がつらに鼻あぐらかけり
酒やめてそれはともあれながき日の
ゆふぐれごろにならば何〔な〕とせむ
松原湖畔雑詠 (『黒松』)
酒のみのわれ等がいのち露霜の
消やすきものを逢はでおかれぬ
かように詠いつつも酒を飲まざるをえない己を、時に自嘲し、時に涙し、時にユーモアに心なぐさめる。凄愴の感さえも受けるものである。そして最後の歌は、
最後の歌 (『黒松』)
酒ほしさまぎらはすとて庭に出でつ
庭草をぬくこの庭草を
「庭草をぬくこの庭草を」がのぞかせる空虚は恐ろしい。
ここから最初の三首に戻ると、孤独の中にあっても酒の味わいが美しく、香り高く詠まれていることに、改めてきづかされるのである。やはり名歌である。
大岡信の十月の第二の論点は、短歌と俳句における酒の飲み方の違い、である。これも非常に面白く、納得させられる論である。
酒を詠んだ場合、短歌のほうが俳句よりも記憶に残る作品が多いような気がします。酒の気分、雰囲気は、五七五に続く七七で表されるところがあって、五七五に七七がついてはじめて成り立つところがあるようです。
「変な事を言うな」と言われるかもしれませんが、七七にはかなり意味があって、そこの部分で歌人たちは、自分の感情がどう動いているかを探りながら決定的に大事なことを言う、という心がまえがあるのではないでしょうか。
それに比べて、俳句の場合、酒を詠むにはあまりふさわしくない形式ではないかと思うくらい、酒の名句が少ないのです。
そして数少ない、酒を詠んだ草間時彦という俳人の句をあげて、その遺留を説きあかしていく。
深酒のあとのひと日のやぶ柑子 草間時彦
深酒をして気分が悪い、けっこう後悔している。そんな一日に藪柑子を眺めているという句です。
俳句では、このように「深酒をした。しまった、飲み過ぎた」という後悔の気持があっても、そこまで言うということはありえないというか、それを詠むと、ヘボな俳句になりやすい。俳句の場合は直に酒の味とかについて言うのではなくて、その前後のところをサラッと詠んで、余韻を味わうという感じになるのかもしれません。
それに対し短歌は、七七の部分があるから、さけの味わい方そのものが出てこないと、逆に歌としておもしろみがないんですね。言い換えると、酒そのものにつきあうという感じが短歌にはありますが、俳句は酒とつきあう前後の身の処し方がきれいにいくかどうかのほうが大事なのではないか、と思うのです。
そして「俳句の場合は、酒そのもに没頭して詠むのはどちらかというと野暮ったい………。そいう野暮ったさを嫌うのが俳句というものの形式である」というのである。
このような短歌・俳句の酒に対する向き合い方の違いから、再度、牧水の初期の酒の歌、二首について次のように述べつつ、両者の特性の差を再説する。
たとえば牧水の〈白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり〉や〈あな寂し酒のしづくを火におとせこの夕暮れの部屋匂はせむ〉を読むと、酒を飲んでいるという感じが実によく伝わってきますね。じわっと酒の香りが自分を包んでくるところまで浮んでくるのが短歌であって、俳句の場合は、酒にのめり込んで詠むのは最低の詠み方だということからか、むしろスッと外していくところがあるのです。
俳人は、ほんのひとことで、本質的なものをパッと言えていれば、あとはスッと身を離してしまう。ですから、酒に飲まれることをしないのが俳人の心構えのような気さえしてきます。
この俳句と短歌の違いは、《折々のうた》を続けてきたからこその、私にとっては、とても面白い発見でした。
酒の詩人といえば、ルバイヤートなどもあったが、やはり李白などの漢詩だろう。漢詩でも短い絶句がいいが、短歌の七七に通ずるものがあるようにも感じる。日本の近代詩ではどうなんだろう。長過ぎか、酔いどれに過ぎるか?
■ 三好達治 『諷詠十二月』十月
『諷詠』の十月は、九月に続き日本漢詩であるが、歴史的故事の詩などが中心である。さすがに頼山陽の「蒙古來」など、取り上げる気がしない。また数首の短詩もあるが、九月のものに及ばない。今月は見送ることにする。
白玉の歯にしみとほるとは牧水の歌の言葉ですか。しかし、これぞ日本酒の歌ですな。他の酒では考えられない。やはり、酒は文化です。