サーキットとブルックナー
中学1年のことだから、もう60年近く前のことになる。
ソニーの小型トランジスタラジオで聴いていた音楽が、突然、恐ろしいほど強烈なリズムで、叩きつけるような破壊力をもって鳴り響いた。「鳴り響く」などといった音が出るはずもないのだが、実際にそう感じさせたのだ。そしてその音楽は、聞いたこともなかったブルックナーという作曲家の交響曲、その第1番のスケルツォだと知った。
翌日福岡の都会から転校してきた音楽好きの同級生にその話をすると、「ブルックナーは第4番がいちばん有名じゃろうが………」と教えてくれた。さすが都会人と感心したのを覚えている。
それ以来、ブルックナーは常に私の音楽愛好の重要な一部であり続けた。当時、ブルックナーと言えばヨッフム、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、マタチッチ、朝比奈隆‥‥‥などを聴くべしという「ブルックナー通」の人々の信念があり、私もその教えに従ってレコードを買い集めたものである。
社会人になってのことだ。あの朝比奈隆が東京でブルックナーの第8番を振るとのことである。第8番は東京では初演だという話であった。早速切符を購入してその日を待ち望んだ。
ところが・・・である。当時、モーレツ時代の20代後半、働らかされ盛りである。大きいプロジェクトに携わっていたたこともあり、演奏会の1週間ほど前からほぼ徹夜に近い状態が続いてしまった。最悪なことに、演奏会当日は筑波のサーキットでプロジェクトで関わっていた車の試乗会、私はリサーチャーとして参加せざるを得なくなったのである。
一級ライセンスを持つスタッフの運転する車の後部座席(当時の市販車には後席シートベルトはなかった)に乗せられ、ヘアピンカーブでのドリフトにもんどりを打ち、前後シートの間に挟まったまま周回を終えるという惨めさであった。あの2倍以上のF1レーサーなど、どんなGを受けているのだろう。
ともかくも無事(?)に終わったのは午後3時か4時ころだったと思うが、試乗会を仕切っていただいたジャパンレーシングというカー・スタント会社のスガワラ社長が運転する車に同乗して帰京することになった。
「どちらでおろしましょうか」とスガワラ社長。
「上野でお願いします。実は今日演奏会で、7時からなのでもう諦めていますが」
「わかりました」と社長。
えっ? 間に合うはずがない。しかし相手は超プロ、一言も口をはさめない。カー・スタントの方だ、きっと猛スピードで飛ばしてくれるのだろう。
などと思っていると、スガワラ社長の運転は、これ以上は考えられないほどの安全運転。スピード、信号の遵守は言わずもがな、信号のない横断歩道でも横断者がいれば必ず停止される。停止の振動など全くない。眠さも忘れて、1ランクも2ランクも上級の車のような乗り心地を「味わっていた」と言っても言い過ぎではい安全快適運転であった。
「はい、着きました」と文化会館前につけていただいた。開演の10分前である。
これぞ、本当のプロ中のプロ、信じられない、ミラクル、奇跡の神業と感嘆、感謝しつつ、会場へと駆け込んだ。
S席である。着席した途端、想像していたブルックナー体形よりもやや細身の朝比奈隆氏が登場、第8番が始まった。あのホルンと弦の次第に高まる音響のうねり・・・・私の意識はここで途切れた。そして・・・・盛大は拍手で意識が戻った。どうも気を失っていたようだ。
しかし我ながら不思議なことに、残念だったという気持ちも起きない。とても満ち足りた気分で帰路につくことができた。ひょっとして鼾をかきはしなかったか、それだけが心配であった。
しかし、中学一年でブルックナーとはねえ。私なんてまだ美空ひばりですよ。ビートルズはその後で。あれから音楽の世界が変わった。当時はラジオが主要な媒体だった。音楽のすべてはラジオにありました。
別にませた中学生だったわけではありません。たまたまラジオで、流れてきただけですが、ブルックナーの第1番スケルツォを突然聞いたら、おそらく誰でも仰天したことでしょう。
ブルースカイ・レーベルでヨッフムの演奏の第3楽章スケルツォを聴いてみてください。http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=3676&category_id=2 です。