毎月のうた⋯⋯(補)その二
■ 大岡信 『芝生の上の木漏れ日』
大岡信の『瑞穂の国うた―句歌で味わう十二か月―』(新潮文庫)に収められたアンソロジー、『芝生の上の木漏れ日』を読む人は誰も、その表題が一体何を意味するのか、奇妙な思いにとらわれるだろう。
私は『瑞穂の国うた』を読んだ当時、大岡信と谷川俊太郎の対談『詩の誕生』(思潮社)を読んだばかりだった。おそらくそのためだろうが、この『芝生の上の木漏れ日』は、大岡信が谷川俊太郎の詩から拝借したイメージなのだろうと思った。
表題のはじめの「芝生」は、とりもなおさず谷川俊太郎の代表作であり、谷川自身が自己紹介の際に併せ記すことも多い『「芝生」』からである。
「芝生」
そして私はいつか
どこからか来て
不意にこの芝生の上に立っていた・・・・・・・・
そして「人間の形をし/幸せについて語りさえ」するのである。
この詩の「私」は谷川俊太郎という詩人自身のことだ、という人もいるが、わたしはこの「私」は“詩そのもの”のことではないかと思っている。
『詩の誕生』で対談は「詩の死」という話題から始まる少々ショッキングなものであったが、それは詩がポエムとして言葉化され外在化されると同時に、作者の内なるポエジーは死を迎えるものの、それはまた詩人自身や読者に新しいポエジーを生み出すのだ、といった主旨だったと思う。「なすべきことは/私の細胞が記憶していた」未生以前からの記憶が産み出すポエジー、それはポエムとして外在化され形をとるからこそ、「人間の形をし、幸せについて語りさえする」のである。『「芝生」』とはこのような詩そのものの表象であろう(と独断的に確信ししてしまったのだ)。
また「木漏れ日」は、やはり彼の代表作『生きる』の
生きる
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
・・・・・・・・
の「木もれ陽」ではないか、と思った次第である。
したがって『芝生の上の木漏れ日』とは日と陽の違いはあるものの、『瑞穂の国うた』の主題である「詩」、そのポエジー、ポエムの動的な発生継承の姿、すなわち詩人の生を象徴するものなのだろう、と想像したのである。
しかし、である。『芝生の上の木漏れ日』の最後には、この表題についての種明かしがされていたのだ。
なぜ《芝生の上の木漏れ日》という題をつけたのかと思っておられる読者もけっこういらっしゃるかもしれませんが、ぼくが大学二年生のとき、すなわち昭和二十七年(一九五二年)の三月十日に作った詩の一節なのです。その《春のために》という恋愛詩の一節を読んでみます。
ぼくらの腕に萌え出る新芽
・・・・・
ぼくら 湖であり樹木であり
芝生の上の木漏れ日であり
・・・・・
という若き日の恋愛詩の一節だったのである。
この表題を私が誤解したように、読者に誤解を引き起こすに違いないと、大岡信自身が予想していたのかも知れないなどと邪推したくなる。『「芝生」』や『生きる』よりも早い、詳細な作詩年月日を必要以上に強調しているようにも見えるのだ。
ひょっとしたら、大岡信のほくそ笑みながらの悪戯だったのかもしれない。
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年末に谷川俊太郎さんが逝去された。ご本人は死を特別なものとはおもっておられなかったはずだが、われわれには、やはり残念だ。モーツァルトの詩集をまだ何冊も書いてもらいたかった。