毎月のうた⋯⋯十二月
年の瀬にはこの一年を振り返らねばいけない……とは思うものの、本気でやるととんでもなく収拾のつかないことになりそうだ。そもそも、こんな好き勝手な引用だらけの文章は、著者に対して失礼極まるものなのかも知れない。ただ、語り忘れては礼を失することになる語り残しについては、別稿で振り返ることにしたい。
この一年にわたって読んできて実感したのは、日本の詩歌というものの驚くべき多様性である。長歌、旋頭歌なども含めた和歌、連歌・連句・俳句、漢詩、それに近代詩。これだけ多くの詩型をもつ文化は、世界どこにもないだろう。漢詩、近代詩は外来のものから発してはいようが、それらを含め、その多様性を“通底”するのはひとつ、日本の心だということであった、
■ 三好達治 『諷詠十二月』十二月
三好達治は「二月」に『諷詠』の出版(昭和17年)当時の“現代俳人”たちの句に対し、手厳しい批判を加えていた。
道ばたの風吹きすさぶ野梅かな 虚子
老梅の枝の先なる梅の花 素十
(以下10首省略)佳句として許されている現代作家の句を試みに座右の書物から抄ひ出してみたのである。錚々たる諸家の佳句をまずかうして取揃へてみて一瞥した直後に感ぜられることは即ち、これらの詩境が比々みな先の蕪村の「水に散りて花なくなりぬ岸の梅」にまったく相近似してゐるということ。蕪村にあっては蕪村趣味の乏しい異例の作と見られたものが、假りにこれらの現代作家の吟詠中に加へられてみると甚だ納まりよく現代式の軒並にそっくりそのまま嵌りこんで見えるであろうということ。
毎月のうた 二月より再掲
そして今月は、その批判を足場にしつつも、さらにその先にひとつの俳句の新しい可能性を見出している。
私は先に現代俳諧の一般的特徴を、その疎慵趣味疎懶風流への偏り、軒並の流行的平凡主義の大勢に於て指摘し、その意識過剰の無意識的趨勢に於て卑見をのべるところがあつた。しかしながらもとより、現代俳諧の一般的特徴は、必ずしも現代俳諧全般を剰すところなく覆ひつくした特徴とも性格ともいふのではない。
現代俳諧は子規虛子先覺以來の客觀主義寫生主義を追ふを以て、その第一の主要進路となしつつ、一方には、元祿天明兩風流の以外の地に立つ、一種近代的感覺と心理とのあやしく緊密に調和契合した、先人未到の新風流(――これもまた西歐近代文學の影響を間接に、二重三重に間接、徐ろに、しかし親身に蒙つた上に成つたと解すべきであらうか)樹立しつつあるのを、我々は粗忽に見落としてはなるまい。
そしてその可能性を飯田蛇笏の仕事、彼の主宰した俳句誌での同人たちの句やそれらへの句評の中に見出しているのだ。
三好は飯田蛇笏を次のように描く。
……(飯田蛇笏は)斯道の練達で、その家風の卓然として一世に重きをなしてゐるのは私がここに説くまでもないが、この作者はまた比類なき眼光と周密細緻な用意とを備えた、殆んど完全無缺と稱しても差しつかへのない鑑賞批評家で、その月々の「秀作評釋」は、今日現在の俳諧を顧る者にとつて後世最も珍重さるべき古典的文字たるを私は信じて疑はない。その遍く行き渡つて手落ちのない理解と同情、その旺盛なる好奇心と想像力、その古典的敎養、その進歩的熱意、とりわけその驚くべき廣汎な範囲に及ぶ語感の感光度………
師である作太郎に対してさえ、呈したことはなさそうな賛辞である。
今月の『諷詠』は大半この蛇笏の同人の十数句およびその評で埋められているのだが、ここではその中から一句とそれに対する蛇行の句評だけを取りあげる。
風花のかかりてあをき目刺買ふ 石原月舟
「この目刺のあをき」は實に海洋の碧さである。食慾を絶して神韻を感ずる。しかも再び心にとびこんでくる美しい淸らかなこの目刺は、作者が買ひとつた場合と同樣な慾望を心に疊んで讀者亦必定それを珍重し購ふに違ひなからうほどの強い感じが甦るのである。
斯うした卑近なる素材、現實的な對象の扱ひ方は、今まさしく俳句文學にたづさはるものの先人を踏み超ゆる唯一の道である。たとへば芭蕉にも去來ひも嵐雪にも古俳諧に没入したほどの人々には屹度作品の上に神韻を示すことを認めるのであるが、併し彼等における神韻は飽くまでも現實を遊離しようとするところに生ずる。誰かが言つたやうに、支那料理の良さは、一度ぐらぐらと煮くたらかし、或は乾燥し盡して再び現物の味に到らしめる點にあるといふことであるならば、俳句作品に於ける秘錀も又現實的諷詠に於て對象の把握から金輪際神韻をめがけ而しておのづから今云食慾の喚發にまで到達するほどの迫力に及ぶべきだと考へる。このことが結局現代俳句作家にとつて一途逞しく行進すべき文藝道であると然り信ずるのである。
この蛇笏の評について三好は次のように述べる。彼の主旨はこれに尽きると思われるので、少々長くなるが引用したい。
右〔上〕の文中に於て、蛇笏氏はたまたま現代俳諧者流にとつて最重要問題の一端に觸れてゐられるやうである。問題があまりに重要肝腎の核心に觸れてゐるので、その解説はやや難解にきこえ、またその説明も説いて未だ詳しからざるもののやうにも見うけられるが、要するに「斯うした卑近なる素材、現實的な對象の扱ひ方」に於てこそ、今人は古人の未だ識らざりし新詩境に歩み入る「唯一の道」を見出すであらうと、ただ單純にそれだけのことを説いてゐられるだらうと、私などは拜聴する。これが「唯一の道」となると、その他に道の絶えてなきことも同時に解説し論證しなければならない筋合の理であつて、さうなると説は益々複雜になるであらうが、それほどまでにこちたく理詰めに法律家か何かのやうにやかましくはいはずに、ただ我々の詩的直觀觀でずばりという言方でいへば、私などもやはりそれが元代作家の「唯一の道」、昭和聖代新風流の「唯一の」の據りどころのやうに考へる者である。
凡そその輓近體風流の最も顯著な最も有力な特徴はどのやうな傾向屬性となつて現れてゐるのであらうか。私の見るところを要約しかいつまんでいふと、それは心理的には著しく自己省察の内攻的方向に傾き措辭用語の感覺的外形に於ては、著しく非抑揚頓挫的の一種平明細叙流儀に傾き、それら二傾向の綜合交流線上に於て、先の子規虛子以來の客觀主義寫生風流を繼承し完成しつつあるものと見とめられるのである。
そして当時の現代俳句の「平板に過ぎ……靜粛に過ぎ……」といつた「見せかけの更に前方の實體、時には幽玄な、しかし明確な實體」こそが「唯一の道」のめざすべきものである、と言うのである。
三好達治自身ではその実証的な作句事例をあげていない。また本諸が昭和17年刊のものであり、その後の俳句の潮流は、例えば小西甚一の『俳句の世界』のような書物で学ぶ必要があるだろう。ここでは同書から飯田蛇笏についての記述をひろうにとどめたい。
厳密な意味での現代俳句の名に価するのは、新興俳句以後であるといってよい。われわれは、秋櫻子が『ホトトギス』を去った昭和六年(一九三一)から俳句史の現代篇に入るのである。しかし、新興俳句以前にも尊敬すべき作者はある。なるほど、かれらは新しくはない。が、けっして古いのではない。かれらは新しさも古さも超越した「不易」の作者なのであって、時代的な流れに掉さすだけの流行作家とはまったく質を異にする。近代的作家を述べるの先立ち、どうしてもこれらの不易なる作者たちを取りあげなくてはならない。なぜならば、かれらは頽廃しがちな現代的表現をつよく反省させる権威をもつからである。
小西甚一 『俳句の世界』 講談社学術文庫
そのひとりは飯田蛇笏である。
不易ゆえの“権威”。飯田蛇笏は三句、注解を省いて引用する。
芋の露連山影を正しうす 蛇笏
亡骸や秋風かよふ鼻の孔 蛇笏
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 蛇笏
三好達治の見た「唯一の道」の新たな感性とは、芭蕉以来の「不易」のうえに――「流行」ではない実体のある‐―新しい発見、対象の見方を加えるものだったのだろう。それは、彼の詩作にも通ずるものだっただろう。
■ 大岡信 『芝生の上の木漏れ日』十二月
『木漏れ日』の十二月のテーマは「雪」である。残念ながら私には十二月の雪に実感がない。ただ、頂を白く輝かせるアルプスの連山の美しさは、私などでは言葉にさえできないほどだと思う。
雪を詠んだ句は実に多いのですが、現代俳人の句では前田普羅が雪の世界をよく詠んでいて、とてもいい句がたくさんあります。昭和十三年(一九三七年)に発表された《甲斐の山々》連作五句はとくに有名で、左〔下〕はその結びの句です。
奥白根かの世の雪をかゞやかす 前田普羅
奥白根は甲斐の山です。「かの世」とはあの世、現世ではない来世、あるいは現在あるけれども、目の前の世界ではなくて、その裏側に「かの世」があるという感じがします。――その「かの世」の雪を奥白根の雪は輝かしていると・・・・。
雪におおわれた奥白根を遠望しながら、その奥にこの世のものとも思えないような浄らかで峻厳な世界を感じる、ということです。こう詠まれると、ほかの詩型では言えないのではないかと思うくらい、ピタッと決まっていますね。こういう決まり方が俳句にはあるわけです。
昭和13年の作品であるが、『諷詠』で論じられた「唯一の道」にもつながる作品だろう。今現在出来した句としても全くおかしくないように思う。
この1年はこの句で締めくくろう。