モーツァルト器楽曲の「ブッファ調」ーその5‐1

1778~79年の交響曲

 変ロ長調の第33番交響曲K.319について見ようと思うのだが、その前に寄り道をして、1778年、79年の2曲の交響曲を聴いてみよう。それは第31番ニ長調K.297(300a)“パリ”と第32番ト長調K.318である。後者は未完の歌劇「ツァイーデ」の序曲とも考えられているものである。
 これらの直前、といっても4年も前のものであるが、若いモーツァルトの交響曲の完成形とも言われる第29番イ長調K.201(186a)、第30番ニ長調K.201(186b)、私は第29番のスコアを初めて目にした時、簡潔ながらもその美しさに驚いたことがある。また、第30番の第1楽章の第2主題、地味になりがちと言われる第2主題ではあるが、この曲のものは何と豊かな人間味だだろう、ブッファ的なものさえ感じさせるもので私は大好きだ。
 それから4年もの間を置いての第31番、第32番、第33番と並べてみると、この間のモーツァルトの音楽的成長とともに、その曲想と構想の多様さをかちえていることに驚かざるをえないのだ。やはり、マンハイムとパリでの体験は、若きモーツァルトの人生の初めての挫折ではあったかも知れないが、音楽的には大きな成長契機であったことが、これらの交響曲およびこの後の諸交響曲を見れば、明らかだろう。

(1)交響曲第31番ニ長調K.297(3100a) “パリ”

 この交響曲についてモーツァルトはパリから父レオポルト宛の手書の中で言及している。あの有名な母親の死を告げる前に、父親に覚悟をさせるために認めた手紙である。その中でこの曲のパリでの初演について、次のように語る。

 あくる日は、コンセールへは行くまいと決心していたのですが、夕方には天気もよくなったので、もし練習の時のようにまずく行ったら、ぼくも舞台に上り、第一ヴァイオリンのラ・ウッセーさんの手からヴァイオリンを取り上げ、自分で指揮をしようと、とうとう心にきめました。何ごとも神の最大の名誉と光栄のためにあるのですから、どうかうまく行ってくれるようにと、僕は神にお恵みを願いました。ところが、どうでしょう。シンフォニーは始まりました。ラーフはぼくと並んで立っていました。最初のアレグロのまん中に、これはきっと受けると思っていたパッサージュが一つあったのですが、はたして聴衆は一斉に熱狂してしまいました。そして拍手喝采です。でもぼくは、書いている時から、それがどんな効果を生むかを知っていたので、それは最後にもう一度出しておきました。それから、頭からの繰り返しです。アンダンテも受けましたが、最後のアレグロが特にそうです。この土地では最後のアレグロはみな、最初のアレグロと同じく、全楽器同時に、しかも大抵ユニゾンで始まると聞いていましたので、ぼくはそれをヴァイオリン二本だけでピアノで始めました。それも八小節だけです。その後にすぐフォルテが来ます。すると(ぼくが期待していたとおり)聴衆は、ピアノの時はシーッシーッとと言っていましたが、それからすぐフォルテが来たのです。フォルテが聞えるのと拍手が沸き起こるのと同時でした――嬉しさのあまり、ぼくはシンフォニーが終わるとすぐにパレ・ロワイヤルへ行って、上等のアイスクリームを食べ、願をかけていたロザリオにお祈りをしてから、家へ帰りました。

柴田治三郎訳『モーツァルトの手紙 上』岩波文庫

 手紙の伝える「最初のアレグロのまん中に、これはきっと受けると思っていたパッサージュ」、モーツァルトの手紙の文意がやや不明確であることもあり、それがパリ交響曲の第1楽章のどのフレーズにあたるのかについては、2つの説がある。

 ひとつは提示部の終わり、終結部で挿入される新しい主題である。サン=フォアなどの説である。

 もうひとつは日本のモーツァルト研究者が主張する展開部短調の後に現れる新しい主題である。(『名曲解説ライブラリー』『モーツァルト大全集解説V』など)

 私はサン=フォアの第1の説に与したいと思う。というよりも、この曲を初めて聞き、モーツァルトの手紙を知って、当然このフレーズだと何の疑問をも抱くことはなかった。その理由は、

  ①終結部に入って新しい挿入主題を出すまでの漸次の「盛り上げ」、ドライブ感。
  ②観客が「一斉に熱狂」して「拍手喝采」する、という手紙の表現にふさわしい、
   いわば「熱量」の高いフレーズであること。
  ③モーツァルトの手紙が「最後にもう一度出した」と語るように、再現部でも
   この挿入主題が再現されている。
  ④「最初のアレグロ」というのは第1楽章全体を指しているのではないのではないか。
   ガードルストーンの著作でも時折「最初のアレグロ」という表現があり、それは
   提示部のことを指している。そう考えると「頭からの繰り返し(ダカーポ)」が
   再現部を表し「最後にももう一度出した」という表現の意味がはっきりする。

 後者の展開部の主題は、確かにパリ好みの瀟洒なものなのかも知れないが、「拍手喝采」という表現にふさわしくないように思えるし、また最後にもう一度出現することもない。展開部主題説はどうも説得力が弱いように感じてしまう。

 母親の死の当日の手紙で、やはりモーツァルトの動揺もあったのだろう。その手紙の記述と実際のパリ交響曲第1楽章を正しく対応させるのは、かなり困難である。

 やはり自分の耳を信じるのが一番だろう。

    カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー

 第1楽章提示部の終結部の挿入主題は2分39秒、再現部では6分19秒、展開部の挿入主題は3分29秒の箇所である。

 ところで、アーベルトはこのパリ交響曲をモーツァルト的ではないと主張しているとそうだ。どのようなところを非モーツァルト的だと言っているのだろうか。主著“Mozart”ではそのような表現が見当たらないようなので、勝手に推測してみよう。
 私は、アーベルトが非モーツァルト的とする楽想は、ここで見た第1楽章提示部の終結部の挿入主題、この処理にこそそれが典型的に表れているように思う。すでに述べたように、終結部に入ってからこの主題の出現までの盛り上げ方、ドライブ感、これはまさにベートーヴェンの流儀である。まるで「行くぞ、行くぞ、準備はできたか」とでも言っているようである。

 マンハイム楽派の先進的なオーケストラとの出会い、パリでの初演への意気込みなどもあったのだろうか。通常のモーツァルトならば、突然に、しかし自然に、時には転調ぶくみで挿入されるのだ。それがモーツァルト的なのである。
 この挿入主題は、間違いなくブッファ的なものを感じさせるのだが、変ロ長調系列に聴くようなものとは、やはり違っているようだ。ニ長調の交響曲の系列に近いだろう。

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