モーツァルト器楽曲の「ブッファ調」ーその6‐2
2.第2楽章 アンダンテ 変ホ長調
第2楽章に入る前に、もうひとつ確認しなければならない。第1提示部の2番目の主題、これは独奏ピアノが入る第2提示部と展開部では出現せず、再現部の最後、真の第2主題の後に、まるで突然思い出したかのように、3番目の主題として出現する。さらにモーツァルト自作のカデンツァは、実質的にこの主題を中心に構成される。いわゆる“偽の”第2主題(mock second theme)である。
あまり語られることはないのだが、実はこの偽の第2主題と、第2楽章の変奏曲主題とはうりふたつのものなのだ。
ともに下行した後最後の音が跳ね、休止をはさんで2度進行で反復する。いくつか音程の違いがあるが、音の運びはほぼ同じである。
第1楽章の“偽の”第2主題は

音の運びは、ソ‐ミ‐ド‐シ‐ファ ‐休符‐ファ‐レ‐ド‐ソ
この“偽の”第2主題は協奏曲第1提示部のため転調せず変ロ長調だが、通常のソナタ形式では変ホ長調に転ずるところである。
第2楽章の変奏曲主題は

音の運びは、ソ‐ミ‐レ‐ド‐ラ‐休符‐ファ‐ミ‐レ‐ド‐シ
太字の音が調違いだが同一音であり、両者の音の運びはほぼ同一であることがわかるだろう。前者の“偽の”第2主題が後者を導き出す役割を果たしているという考えに、無理はないように思われる。
この“偽の”第2主題の出現の仕方をみると、ブッファ調器楽曲について、いろいろなヒントを得ることができる。冒頭では当然ながらブッファ調の第1主題との対照性を強く意識して作られていることは間違いない。次に出現するのは200小節以上後の再現部の最後の方、ならびに独奏ピアノによるカデンツァである。第1楽章の実質的な本体には関与しない。この偽の第2主題を聴いていると、これは第2楽章の変奏曲主題を導き出すための役割を果たしているのではないか、それもブッファ調の第1主題との明確な対照性を意識しつつ、楽章間の統合性をも考えてのことではないか、と思いたくなるのだ。
ブッファ調のアレグロ旋律をもつ器楽曲では、一種敬虔さを示す緩徐楽章をを持つことが多いのだが、それが極めて意識的な行為として作曲されていることが、この曲ほどよく見て取れる曲はない。
したがって、この協奏曲の第2楽章変奏曲には、モーツァルトが意図したブッファ調との対照性をどう聴くかが、一番の問題となるはずである。
その点について、ファードルストーンとハッチングスはどう聴きとっているだろうか。 論の焦点は、いつも問題になる、この楽章主題の讃美歌的な宗教曲的性格をどうとらえるか、である。
まずガードルストーンは、
芸術家モーツァルトの思考には無縁であるが、我々の心の中にある連想は時折、彼のインスピレーションの要素の中に実際には存在しないものを見てしまう危険がある。19世紀教会音楽の影響が少なからぬ現代の聴衆にこの協奏曲のアンダンテに宗教的なインスピレーションを見ようという気持ちを起こさせるかも知れない。主題には讃美歌のおもむきがある。
しかし、その敬虔な特徴が偶然の産物以上のものであるかは疑わしい。モーツァルトがここで宗教的な作品を意図したということはありえそうになく……(略)……しかし、一部のコンサート愛好者がこの曲の主題に、祈りと“平日の日々の日曜礼拝の反響”を聴き取ることを妨げるものではない。……(略)……たとえ“祈りの”という形容詞を揶揄したとしても、その曲調が厳粛であることを否定することはできないが、同時に素朴で純真と言ってよいくらいのものなのだ。最良のモーツァルトがここにある。それは、情熱を内に秘めた質の平穏さであり、穏やかなだけの魂の後ろ向きの静寂さよりも、より深く豊かである。
またハッチングスは次のように語る。
There is little in this movement which can be enlightened by verbal description , its procedure as much as its spirit is entirely self-communicationg.
【試訳】
この楽章には、言葉で表現することで明らめることができることは少ない。というのは、その精神とともに、音楽進行は全面的に自己対話的だからだ。
ガードルストーンは“深く豊かな前向きの魂の静寂さ”のある最良のモーツァルトだという。またハッチングスは言葉で表現できるものはないと言いつつも、“自己対話的”だとする。ピアノとオーケストラとの応答のイメージがあるのだろうか。
それよりも己の心の何と対話しているのか、その“何”こそが大切なのではなかろうか。それは“祈り”かもしれないし、また何らか超越的なものかも知れない。それをどう聴き取るかは聴く者の感受性に委ねるべきことだろうが、それは魂の静寂をもたらす深く豊かなものに充ちたものであることは間違いない。
この変奏曲の展開は、ラドクリフの解説に任せよう。
独奏ピアノにおけるしだしに増大していく精緻なフィギュレーションも、静かで瞑想的な性格の音楽をさまたげないし、とくに主題自体の人を感動させる親しみのある美しさは、この楽章にひとつの特徴をあたえている。主要旋律を充分に表情をつけて奏する木管楽器群のピッチカートを配した扱いは、きわめてすばらしく美しい効果をあげている。
第3楽章は満面喜びのモーツァルトである。
演奏については、デレク・ハンのピアノ、グッドマン指揮ロイヤル・フィルの演奏がいいと思うのだが、まだ著作権保護期間である。ここではレナード・バーンスタイン、ピアノ&指揮ウィーン・フィルの演奏を引く。バーンスタインは明らかに第2楽章を宗教曲として演奏しているように思われる。後年のアヴェ・ヴェルム・コルプス同様、少々やり過ぎの感を否めないが……。


