モーツァルト器楽曲の「ブッファ調」ーその5‐2
(2)交響曲第32番ト長調K.318
パリでの就職の目論見の失敗、その地での母の死、ザルツブルクへの帰途では失恋、とモーツァルトは人生初めての挫折を味わうことになった。
しかしそれは、ホ短調のヴァイオリン・ソナタK.304やイ短調のピアノ・ソナタK.310、また一部のセレナーデの短調楽章など少数例を除けば、彼の音楽を覆い尽くすことはなかったと言われる(この点については次のK.319で検討したい)。
パーソナルな要素が最も少ないとされる交響曲ではこの時期、第31番ニ長調「パリ」K.297、第32番ト長調K.318、第33番変ロ長調K.319と続き、そして後期傑作群に一歩踏み出したかのような第34番ハ長調K.338でザルツブルクでの交響曲に幕引きをするのである。
それにしても各々の曲趣の違いはどうだろう。同時期の一人の作曲家の手になるものと思えないほどだ。ハイドンだったら、同時期の作品は大同小異のハイドン交響曲だ。
第32番ト長調K.318はイタリア風序曲の形式をとり、3つの楽章は連続して奏される。実際どのオペラの序曲を意図したものかは明らかではないが、現在はアインシュタインの“ツァイーデ”のための序曲という見方が定着していいるようだ。“ツァイーデ”は未完のジンのグシュピールで、後の“後宮からの逃走”の先駆となるものだが、“後宮”に似たお話自体は、たわいないものである。
アインシュタインは、このジングシュピールとこのイタリア風序曲交響曲のあいだに登場人物と主題(あるいは主題部)との対応関係があること、そして様々な表現手法を取り込んでいることを認めたうえで、次のように述べている。
彼が演奏会の聴衆を考慮していないゆえに誇示していない唯一のものは、主題の組み合わせである。
A.アインシュタイン著 浅井真男訳 『モーツァルトーその人と作品ー』
「主題の組み合わせ」には注意が必要である。米国在住の著者が独語版に先立って刊行した英訳版でも❛combination of themes❜であり、「組み合わせ」で問題はないのかもしれないが、これでは全く意味をなさない。
この交響曲は、第1主題、第2主題の第1楽章、単一緩徐主題の第2楽章、そして第2主題、第1主題の順に再現される第3楽章という連続した構成である。最大の特徴はソナタ形式的な展開部がないということだ。第1楽章では第2主題部の後に第1主題が顔を出しかけるが、主題に関係のない素材の中に埋もれてしまう。
「聴衆を意識していない」とは、聴衆を面白がらせるような主題の展開などを考慮しないで、ということだろう。やや強引なロジックではあるが、登場人物は独立した人格、それは音楽の主題と対応している、したがって主題間には相互干渉はない、ということなのだろう。
前置きが長くなってしまったが、この交響曲でブッファ調を感じさせるのは第1楽章の第2主題で、主調から転じたニ長調のものだ。この第2主題は、ほとんどイ音だけで出来ていると言っても過言ではない。ニ長調のブッファ調らしい同音反復で、1小節おきに旋律はそのまわりを舞い踊る。「きびきびとした」と評する解説書もあるが、私はブッファ的な「いきいきとした」主題と感じるのだが、どうだろうか。
ところでこの第2主題は“ツァイーデ”の登場人物のうち、誰をあらわしているのだろうか。“”後宮からの逃走と同じ名のオスミンも登場するが、ブッファ的な役割は果たしていない。対応する登場人物がいないようにかんじられるのだが。
いずれにせよ、この音楽自体を楽しめば、それで十分である。
譜例は第1楽章第2主題、休止の管部を省いた弦部冒頭4小節である。

交響曲第32番ト長調K.318第2楽章第2主題
演奏はカール・ベーム指揮ベルリン・フィルの演奏、第1楽章である。
交響曲第32番ト長調K.318第1楽章
第2主題は第3楽章で最初に再現されるが、それは通常のソナタ形式再現部にならって主調のト長調で再現される。だがこの主題はやはりニ長調でなければならない、という気がしてくる。ト長調に下がったことでブッファ感が大きく減衰してしまうと思う。

