毎月のうた⋯⋯二月

 今年はオリンピックで閏年である。閏年の二月というと、まず思い出す本がある。チェコの作家カレル・チャペックの『園芸家12カ月』である。二月の章から引用しよう。

 用心しなければならない。昼間は甘言をもって灌木の芽をおびき出し、夜になると火あぶり〔凍傷のこと〕にする。一方の手でわたしたちをさすりながら、もう一方の手でわたしたちの鼻の頭をはじくのだ。よりにもよって、どうして閏年にかぎり、このうつり気な、カタル性の、陰険な、一寸法師の月を一日ふやすのか。その理由がわからない。閏年には、五月というあのすばらしい月を、一日ふやして三十二日にすればいい。そうすればすむのだ。なんのむくいで、われわれ園芸家はこんな目にあわされるのか?

   カレル・チャペック『園芸家12カ月』 小松太郎訳 中公文庫

 良質のユーモアとはこういうものだろう。
 もう十数年前のことだが、SU氏がこの本の英訳を読んでいた。私もドイツ語からの重訳だが読んだというと、「英訳の方が原文に近い。もう読み終わったからこれをやる、これを読むべし」とのこと、ありがたく頂戴し、そのままになっていた。思わぬところで役立つことになった。
 さっそく上記訳の「よりにもよって、どうして……」をみると、「God only knows why……」なのである。チェコ語でも使われる慣用句だと思うが、そうだとするとチャペックは、神様に駄々をこねているのだ。もちろんこれもユーモアだろうが。

 余談が長くなったが、それにしても今年の二月は寒くない。“毎月のうた―二月”にとって“あたたかい二月”では困ってしまう。常套的に言われる、“ピンと張りつめたような寒さ”であってほしい。せめて気持ちだけは張りつめて読んでみよう。
 “張りつめたような寒さ”をうたうのは、やはり俳句がぴったりするのだろう。もともと情緒性の高い和歌の三十一文字では緩くなるのだろう。大岡信は一、二月はすべて俳句、三好達治も大半が俳句である。

■ 大岡信 『芝生の上の木漏れ日』二月

 張りつめた寒さを最も実感するのは「霜柱」だ。北風や雪よりも、寒さが結晶したような霜柱が一番だ。あの踏んだ時の足の感触とはじけるような響きが、また寒そうでいい。
  そんな「霜柱」の句が選ばれている。

 霜柱の句では、はなはだ有名な句があります。
    霜柱俳句は切字響きけり        石田波郷
 考えてみれば、なぜ霜柱が俳句の切字と関係するのかと言いたくなるくらい、まるで関係のないことを言っています。けれど、「俳句は切字響きけり」という中と下の句を受け止める上の句の「霜柱」は、ぴったりとくるのです。霜柱というものに対する感覚は、鋭く尖っていて、キラキラと光っていて、ピーンと緊張しているから「響く」がよくわかるのです。

 さらに戦前から今日に至る、新しい復興俳句の俳人の俳句についての著者の見解は、いろいろと勉強させられることが多かった。ここでは選ばれた数句から、次の三句を取り上げたい。

    暗がりに座れば水の湧くおもひ     富沢赤黄男〔かきお〕
    梟や机の下も風棲める         木下夕爾
    冬深し柱の中の濤の音         長谷川櫂

 〈梟や……〉の句について「これは現代詩の骨法そのもの」で、それは「ありえないものをとらえて、そこに詩を発生させるという詩の骨法」なのだとする。
 これについてさらに詳しく、

 こういう人たちの句がおもしろいと思えるのは、彼らのとらえているものが、抽象的にいえば、距離感のなかでは中心に置かれているものの、それと全体との関係におけるおもしろさ、と言えましょうか。

 個々の句解説を読むと、漠然とではあるがわかるような気もする。しかし私のような俳句の素人の感性・悟性はこれ以上先には行けそうもないので、このあたりでやめておくことにしよう。

■ 三好達治 『諷詠十二月』二月

 冒頭に元政和尚の和歌および漢詩を取り上げるが、特に見るべきものはない。著者の筆が冴えるのは、俳句に入ってからである。
 著者は二月の俳句を“梅”の句に絞り、まず芭蕉の句をみるが、「梅の句には蕪村の方に更に一層名句の數も多く、その品質も輕快にさっぱりとしてゐて、一讀目のさめるやうな、塵外の佳境清奇喜ぶべき詩趣を傳へたものが頗る多い」という。
 子規、漱石、朔太郎といった蕪村を愛した文学者たち、三好達治も朔太郎ゆずりの蕪村党なのだ。この種の著作としては異例なほど多くの蕪村句がとられているが、個々の句の解説は省いて、数句をとりあげよう。

    二もとの梅に遅速を愛すかな
    白梅や墨芳しき鴻臚館
    梅咲いて帯買ふ室の遊女かな
    梅遠近南すべく北すべく
    梅散りて寂しく成りし柳かな

等々であるが、上記以外の少々劣る蕪村句でさえ「そのねらひの目標だけは分明にすぎる位分明」であるというが、次の句に対しては、少々手厳しい。

    水に散りて花無くなりぬ岸の梅
は、思ふにいささか調子のちがった、この作家としては甚だ地味に控え目な殆んど平凡にも近い句境のやうに見うけられる。「花なりぬ岸の梅」といふのが蕪村流に視覚に訴へた詩興であるのは、少しく精しく玩味する者にはすぐに納得されるであろうが、「水に散りて」は、さうすると一面甚だ説明的にも堕して、平凡といふよりはもう少し下った平俗にさへも近づいてゐるかに考へられないこともない。

 この批判の眼は本書刊行の昭和初期(昭和17年)当時の“現代”俳人たちの句に向けられる、

    道ばたの風吹きすさぶ野梅かな     虚子
    老梅の枝の先なる梅の花        素十
         (以下10首省略)

 佳句として許されている現代作家の句を試みに座右の書物から抄ひ出してみたのである。錚々たる諸家の佳句をまずかうして取揃へてみて一瞥した直後に感ぜられることは即ち、これらの詩境が比々みな先の蕪村の「水に散りて花なくなりぬ岸の梅」にまったく相近似してゐるということ。蕪村にあっては蕪村趣味の乏しい異例の作と見られたものが、假りにこれらの現代作家の吟詠中に加へられてみると甚だ納まりよく現代式の軒並にそっくりそのまま嵌りこんで見えるであろうということ。

 さらにそれらの句が、「それ自体その本質から當然に、新味ある極微の思想たるを到底免れ難い」、「あまりにも隠微細小、ほとんど一椀の白湯を含み味ふ位の味感をしか味ひ得られない」とし、「藝術の最も自然な本然の法則のおしなべて働いてゐるのを忘れては」ならない、と警告する。そしてひいては、「詩歌の趣味風味といふものも、それが人生と相亙る分量の多寡にかかっている、またその品質の上下にかかってゐる」と断ずるのである。

 この先を引くことはもう必要ないだろうが、当時の俳句の陥った些末主義を打破しようとしたのが、大岡信の取り上げた復興俳句の俳人たちだったのだろうか?
 これから勉強しなければならない。

■ 私の好きな二月の句

 以前SU氏が紹介されていた詩人・俳人の矢澤準二氏は、私の会社時代の先輩である。参加されている俳句同人誌をいただいた中に、大好きな冬の句がある。

    おでんやの隅に暗闇潜みけり

 矢澤氏に、次のような感想をお返しした。

 私はこの句が大好きですね。おでんやの道具建ての言葉がわかりませんが、「カウンター」や「止り木」、あの足元のさらに端っこの隅、ここあたりがまさに暗闇ですね。暗闇に何かが潜んでいると怖いですが、暗闇がひっそりと身を潜めている。おい暗闇君、みつけたぞ、といった「けり」でしょうか。私は冬のおでんやに入った途端のあったかさまでも感じてしまいます。洋式のバーはだめでしょう。またラーメン屋の喧騒も暗闇は逃げ出すでしょうし、焼き鳥屋の油くささとジュージューの音、これも暗闇君はいやがるでしょうね。「おでんや」、人々が冬になるとおでん屋が懐かしくなる、その理由が思いもよらない暗闇で描かれているように思いました。感動しました。私はおでんやの暗闇を寂しさや自分の心の陰などとは感じません。そいうものまで包み込んだ暖かさを感じます。

 三好達治の言葉、「人生に相亙る分量」が読む者においても大きい句なのだろう。

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