モーツァルト 弦楽五重奏曲 第6番 変ホ長調 K.614 その2

 ハイドン的という評価について、手近にある何冊かの一般向け解説書にあたってみた。各々「ハイドン」について言及している箇所を引用してみよう。

■属成啓 『モーツァルトⅢ 器楽編』
〔第2楽章〕
・ハイドン風の素朴な主題による歌謡楽章
〔第3楽章〕
・ハイドン的な単純性と通俗性を見逃すことはできない。
〔第4楽章〕
・生気が躍動するきわめて流動的な、テンポの速い終曲である。これに対してアーベルトは「ハイドン的なユーモアのモーツァルト的な脚色」だと述べており、アインシュタインは「全くハイドン的で、この時代の唯一最大の室内楽作曲家への感謝の現れのようだ」としている。

■『モーツァルト(名曲解説ライブラリー14)』
〔概説〕
・まったく、ほとんど純粋にといってよいほどハイドン的に晴れわたった世界のなかにある。そのことによってモーツァルトのハイドンへのオマージュと感じるのは、アインシュタインだけではないだろう。
〔第1楽章〕
・(冒頭の)こうした楽天的ともいえる楽想はきわめてハイドン的である。
〔第2楽章〕
・アーベルトは主題を彩るコンチェルタンテな音型装飾変奏を小鳥のさえずりに喩えているが、推移的な楽句に導かれたヘ長調の変奏には、まさにハイドンの《鳥》四重奏曲のモティーフが響いている。
〔第4楽章〕
・全曲中最もハイドン的な楽章で、あの室内楽の先輩が有していたフモールがモーツァルト的となって素朴な率直さというもがみなぎっている、きわめてハイドン的なロンド主題

■中央公論社版『モーツァルト大全集解説Ⅹ 1970~1791年』
〔概説〕
・きわめてハイドン的なフィナーレをはじめ、全楽章とも明るい活気に満ちているところから、ハイドンへのオマージュと呼びたい作品である。モーツァルトの室内楽がハイドンによって新しい地平を得たのは、ちょうど10年前のことであった。
〔第1楽章〕
・ヴィオラの二重奏にヴァイオリンの二重奏が答える平明な第1主題は、ハイドンのop33-3、有名な《鳥》との関連を想起させる。
・付加されたコーダの開始は、ハイドン主題との結合を計っているかのようである。
〔第2楽章〕
・第1変奏の冒頭には、ハイドンの《鳥》のモチーフが姿を見せる。
〔第3楽章〕
・この楽章もまた〈ハイドン的な率直さに満ちている〉〔アインシュタイン〕
〔第4楽章〕
・主題のハイドン的性格は一目瞭然である。

■アインシュタイン『モーツァルト その人間と作品』
〔第3楽章〕
・メヌエットはドゥーデルザック(バグパイプ)・トリオを持ち、ハイドン的な率直さに満ちている。
〔第4楽章〕
・そしてフィナーレは全くハイドン的で、室内楽の分野における唯一の偉大な同時代者への感謝を現わそうとしているかのようである――長い対位法的な傾向のある展開部もハイドン風である。

 以上、「ハイドン」についての言及だけしか抽出していないが、それらの解説に共通しているのは、「ハイドン的な快活さ」、「ハイドンへのオマージュ」、「楽章、ひいては曲全体を統一しようとするモチーフの共有化」、「小鳥のさえずり」、「ハイドンの《鳥》四重奏曲のモチーフの出現」などといった特性である。
 「小鳥のさえずり」や「ハイドン的」であることについては異論はないだろうが、「ハイドン的なユーモア」とは何だろうか。『モーツァルト(名曲解説ライブラリー14)』では、上記以外にさらに「清明な――屈託のないユーモアすらも含んだ――作品」「モーツァルトはここ(第4楽章末尾)で、主題展開の絶妙な技をユーモア溢れるやり方で示している」などと述べられている。
 本当にこのモーツァルトの曲からユーモアが聴こえてくるだろうか。「ハイドン的ユーモア」というと「驚愕」「冗談」といった語が浮かぶのだが。また、末尾の対位法がユーモアに溢れているだろうか。私の耳には、真摯な対位法としか聴こえないのだが。

 上記でも触れられているが、これらの評言の出どころは、恐らくアーベルトだろう。私の手もとには、残念ながらアーベルトのドイツ語原本がなく英訳本しかない。幸いなことに「ユーモア」については、ドイツ語と英語の意味、用法はほぼ同一のようである。英訳からある程度、原文も想像できるかもしれない。関連個所をみてみよう。

The finale movement is an cross between sonata form and rondo form. Thematically speaking, it is exceptionally unified and once again provide a Mozartian gloss on Haydn’s sense of humor.

〔試訳〕
最後の楽章は、ソナタ形式とロンド形式の融合である。主題に関していえば、それは異例なほど単一であり、またハイドン的な意味でのhumourのモーツァルト的な脚色である。
 また、

The movement ends on a good-humoured note with the main theme appearing four times, on each occasion with a different counterpoint, it even appears in inversion.

〔試訳〕
音楽は4回出現した主題とともに、a good-humouredな響きで終わる。おのおのの主題の出現は、それぞれ異なった対位法処理を伴っているが、最後の出現では転回〔逆行〕の現れ方さえしているのである。

 アーベルトの英訳から推測するに、このhumourは、日本語でいう“おどけ”のような「ユーモア」ではなく、「快活さ」「機嫌」などといった意味の方ではないだろうか。したがって「a Mozartian gloss on Haydn’s sense of humor」は「ハイドン的な意味での快活さのモーツァルト的な脚色」、「on a good-humoured note」は「上機嫌な響きで」とするべきなのではないか。あくまでドイツ語原本ではないため、推測ではあるがフモールなどと言ったところで同じであろう。ただし、実際に聞く演奏からは、ユーモアなどは感じ取れないのだ。私は自分の耳のほうを信じたい。

 しかし、冒頭に述べた「感動の不安定さ」は、これあらの解説では手掛かりを見出すことはできなかった。第4楽章ロンドが「特にハイドン的」だと言われている。そして不安定さを最も感じさせるも第4楽章なのである。第4楽章ロンドについて、次に詳しく見ていきたいと思う。