毎月のうた⋯⋯四月

 入学などの人事を除けば、日本人にとって四月はすなわち桜だ。それしかない。近年温暖化の影響か、桜は三月のものになっていたが、今年は四月に戻ってきた。連日、テレビのニュースでは、トップで桜開花を待ち受けている。大さわぎだ。こんな事をやっているのは、世界中で日本だけだろう。私のような単純な人間はつい、あの白とも薄桃とも分かぬ染井吉野のお目出たさに感染してしまう。もっと複雑精妙な詩心を持った人でも、どんな詩、どんな俳句や短歌を詠もうとも、まともにぶつかっては、あのお目出たさにを超えることはひじょうに難しいだろう。
 などと考えながら、大岡信、三好達治の四月を開いたのだが、詩歌のアンソロジスとにとってもやはり、四月というのは一筋縄ではいかない月なのだろう。

■ 大岡信 『芝生の上の木漏れ日』四月

 日本人と桜とのかかわり方について、まず次のように述べる。 

 桜の花の愛され方ですが、一方では「麗しく咲いている」という咲き方で愛されたわけですが、もう一方では、比較的早く、それも豪勢な散り際をとても愛さ板、ということがあると思うのです。咲いているときも美しいが、散るときも美しい、というところで、桜の花は日本人の感受性にぴったりとくるところがあったと思います。
 桜は、中国から渡ってきた梅のような花木とは違って、日本の土着の花であるところも、親しみ深く愛された一因かもしれません。中国人は桜の花についてはべつに何とも言っていません。日本人が、殊に桜の散るというところに特徴を見いだしたことが、私にはとても大事な点だと思っているのです。

として在原業平の、時の太政大臣の四十賀での歌、

 さくら花散り交ひ曇れ老いらくの來もといふなる道まがふがに   在原業平

という賀宴の歌らしからぬ「散り」「曇」「老いらく」などをすべて最後に逆転させるトリックの歌をあげる。
 大岡信はやはり桜を正面からとりあげるのに、とまどいがありそうだ。世阿弥の「花」や二条良基、源氏物語の「花の宴」などに触れながらも、引かれた歌はない。
 最後にやっと満開の桜があらわれる。

 押し合うて海に桜のこゑわたる                 川崎展宏

 津軽から北海道への桜開花の北上を詠んでいるとのことだが、今の時代に満開の桜を詠むには、現代詩的なレトリックを要するのだろう。

■ 三好達治 『諷詠十二月』四月

 一方、三好の『諷詠』四月は、正面から桜に向き合っていく。まず『平家物語』の「忠度都落」のくだりを紹介した後、桜の花について、

 ……櫻花の吟詠には、この花の絢爛目にも眩ゆきさまを詠じた樂天的のものより、落花翩飜飜無常迅速の詠嘆を假託したものが專らであつて、佳作秀作もどうもその方に專らのやうに見うけられる。

 として前者の例を数首をあげた後で、源頼政の歌を取りあげる。

 花さかば告げよといひし山守のくる音すなり馬にくらおけ      頼政

 私は『平家』の群像の中でも、この頼政という武将が特に好きである。万葉の香りさえ残すこの歌は、実朝の病的な万葉調などよりはるかに、頼政の“健”なる姿が読み込まれている。世阿弥もそこに頼政の「花」を見たに違いない。

 次いでいよいよ西行である。上にみた「ふたつの桜」は西行一人の中でも見られ、しかも両者の間を揺れ動く様が描き出されている。
 「最も浮世厭離無常迅速の餘響がただよふ」ものとして、

 もろともに我をも具して散りね花うき世をいとふ心ある身ぞ

 花も散り人も都に歸りなば山寂しくやならんとすらむ

 佛には櫻の花をたてまつれ我が後の世を人とぶらはば

 願はくば花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ

 一方の「純粹に枯れの櫻花好きと自然耽美の傾向を吐露した」歌としては、

 吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬ方の花を訪ねむ

 身を分けて見ぬ梢なく盡くさばやよろづの山の花のさかりを

 吉野山桜の花を見し日より心は身にも添はずなりにき

 そして西行については次のように結ぶ。

 爛漫と咲きみだれる櫻花は、西行にとつては輝かしい生の象徴でも、武勇闊達な大和魂の象徴でもなく、直ちに死の聯想を喚び起すところの純美な何ものかに外ならなかつたのである。さうしてその哀傷沈潜にただ假そめの、ほんの若干の意匠の加つたものが、卽ち彼の櫻花諷詠の部をなすものと稱しても、決して過言ではあるまい。

  うき世にはとどめおかじと春風の散らすは花を惜しむなりけり

  梢吹く風の心はいかがせむ從ふ花の恨めしきかな

 近世の、そして芭蕉の姿はもうすぐそこに見えている。

 言うまでもなく「西行の和歌における」ものに「一筋につながる」ことを願った芭蕉である。しかしながら、「芭蕉に於てもはやく卽に、歌人西行に於けるやうな單純露骨な筆法はなかなか見うけ難い」として次の句をあげている。

 さまざまのこと思ひ出す櫻かな

 芳野にて櫻見せうぞ檜木笠

 西行の庵もあらん花の庭

 木のもとに汁も膾もさくら哉

 桜を詠んで桜は巧妙に主役の座からおろされているように見える。いや「見せる」が正しいかもしれない。
 芭蕉と桜については『奥のほそ道』に触れないわけにはいかない。弥生に江戸を立っ、すなわち桜の開花北上と時を合わせて歩を勧めたはずだ。しかし途中一度も桜については触れず、わずかに羽黒山中で山桜のつぼみをひとつ見つけ、行尊の人と歌を想うという、仕組まれたくだりに注目せざるを得ない。三好達治の次の総括が、この経緯をよく語っている。

 ……芭蕉の諷詠の比々としてみな婉曲を極め、顧みて他をいふが如き態度を以て終始してゐるのは、先の西行と比べてみると最も顕著に看取できるところであらう。……その心理操作の手の込んだ次第は、いふまでもなく「山家集」などの比ではない。

 そして「消息は蕪村に於ても同様である」として菜の花の句を並べて、四月の稿を終えている。

 菜の花や月は東に日は西に

 菜の花や笋見ゆる小風呂敷

 菜の花や鯨も寄らず海暮れぬ

 菜の花や晝一しきり海の音

 はたして「消息は蕪村においても同じ」だろうか。私はそうは思えない。芭蕉ほどの主役ずらしはここにはない。あくまで主役は菜の花だ。当時も菜種油用の菜の花畑一面の黄だったはずである。蕪村の句にうつった途端に、瞼の中の風景が一転してしまうのを感じるのである。これが蕪村なのだと思う。

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