モーツァルト 弦楽五重奏曲 第6番 変ホ長調 K.614 その1
モーツァルトの弦楽五重奏といえば第3番ハ長調K.515、および第4番ト短調K.516が彼の全作品の中でも屈指の傑作とされるものであり、そのことに異議を唱える人はいないだろう。私も特にハ長調五重奏曲は、バリリ弦楽四重奏団のこれ以外にありえないと思えるような、すばらしい演奏を長年愛聴している。
ところで、この弦楽五重奏曲全6曲であるが、CDなどのカップリングでは若書きの第1番K.174と最後の第6番K.614が組み合わされることが多く、ばら売りされることはまずない。すなわち第6番K.614は除け者扱いされているのである。単独で売れるような魅力はないと販売会社から見られているのかもしれない。
しかし、私はこの第6番変ホ長調K.614が好きである。
私の愛聴する、ブダペスト弦楽四重奏団にワルター・トランプラーが第2ヴィオラで加わった第6番K.614を聴いてみていただきたい。
各楽章に聴かれる第1ヴァイオリンの飛翔、高く舞い上がるジョセフ・ロイスマン(あるいはアレクサンダー・シュナイダーか)の闊達な演奏は、他に比肩できるものはないと思っている。特に第4楽章ロンド、リフレインの後半の飛翔のフレーズ、これは繰り返しを含め3度奏でられるが、そのたびに聴く方の心も舞い上がる。
当時最も現代的と言われたブダペスト弦楽四重奏団の演奏も、すでに古いなどとよく言われるのだが、最近の古楽器を使った演奏など、その足元に及ぶべくもない。
弦楽五重奏曲の中では、もちろん最高傑作がハ長調K.515でありその完成度は他に比するものがないことに私も異論はない。しかし個人的な感想だが、このハ長調K.515とこのK.614では受ける感動の質が違うように感じるのだ。
K.515ハ長調の場合、完璧ではあるが聴き終わった後の感動が完結してしまう。こうこの先にはどんな感動もあり得ない、といった感動なのだ。一方、K.614変ロ長調では、K.515ハ長調にくらべると、その感動の質がはるかに不安定なのである。この曲のどこかに大きな不満があるというわけではないのであるが。この感動の不安定さは、一体どこから来るのだろうか。
この曲に対してどのような評価がなされているのだろうか。私自身の感動の不安定さを解明するために、諸文献をあたってみた。果たしてこの曲に対しては、最上至上のものとする評価とその反対に最低のものとする評価の、毀誉褒貶両極端の見方があることがわかってきた。
ここではまず、最も低い評価の一例、ハンス・ケラーの記すところをみてみよう。
Most of the E flat Quintet sounds like a bad arrangement of a wind piece in mock-Haydn style and is strictly unplayable in that it cannot be rendered in tune――unless an imitation of the awful sound of open-air wind serenades is intended; they usually seem composed out of tune too. Mozart entered it in his diary on 12 April, and the writing looks somewhat shaky to me; perhaps he was ill.
Hans Keller The Chamber Music “The Mozart Companion” Faber & Faber
【試訳】
(アンダンテを除く)変ホ長調五重奏曲の大部分は、ハイドンのスタイルを模倣した木管楽器作品の下手くそな編曲のように響く。そしてそれは、厳しい言い方になるが旋律の体をなしていないため演奏など不可能なのだ。ただ、もしそれがおぞましい野外木管セレナーデの響き――実際それは旋律をなしていないのが通例だが――を意図したあのでなければ別である。モーツァルトは4月12日、この曲を作品目録に記入したが、私には、その筆跡が震えているように思えるのだ。おそらく彼は病気だったのだ。
さんざんな評価である。「ハイドン亜流の出来損ない」「病気だったのだろう」とはよくぞ言ったものである。おそらくこれが最低の評価だろう。
最上至上の評価を与えるのは、アンリ・ゲオンやガードルストーンといった人たちであるが、これは最後に詳述したい。
ここでは、ハンス・ケラーの評価にも出ている、ヨゼフ・ハイドンの影響といった点について考えてみたい。実は、この曲に対する評価のほとんどは、ハイドン的という言葉に集約できると思われるのだ。
モーツァルトの弦楽五重奏いいですね。音源をじっくり聴いたのち、解説を読みましょう。