「えつこの部屋」の思い出

 友人のナガミネ君から連絡をもらった。もう十年以上も前のことである。中学時代の同級生「えっちゃん」が音大の教授になって、今は二期会のコレペティをやっている、久しぶりに食事でもしないか? 」久しぶりどころか、中学卒業以来である。さっそく初台の国立に出かけた。付設のレストランで食事をとりながら、ひとくさり昔話、コレペティなる仕事のことを教えてもらい感嘆、あっという間の2時間であった。

 帰り際にえっちゃんが、
「Gちゃん、あなたお子さんいるの?」
「ええ、上の子は就職、下の男の子は下手ながら音楽好きで、ワグネルやってる。」
「えっ、私ワグネルの伴奏やってるのよ! いつも定期演奏会で弾いてる。」
こちらが「えっ!」である。ワグネルの定期演奏会は毎回聴いていた。まじまじとえっちゃんを見ると、ああ、あの伴奏のピアニストだ、とやっとわかった。定期演奏会では、非常にドライなピアノを弾くお兄さんと、それとは対照的に華麗な演奏をする女性ピアニストが交替で伴奏を務めていたが、これがえっちゃんだったのだ。苗字や名前の漢字が変わっていたので、まったく気づかなかった。気づかないまま何度もえっちゃんのピアノを聴いていたわけだ。「えっちゃん先生」がワグネル団員に絶対に明かさなかったお年がこれで皆にばれた、とは息子の話である。

 えっちゃんは毎年藤沢の市民ホールで『えつこの部屋』というサロン・コンサートを開いていた。藤沢にお住まいの恩師、畑中良輔先生のお勧めもあったそうだ。「えっ、畑中先生! 」大先生である。ワグネルの音楽監督も務めておられた。私も畑中先生の声楽演奏評を随分読んだものである。おいそれと近づける方ではない。
 初めて伺ったのは第5回の『えつこの部屋』だったろうか、その畑中先生が特別出演されるという。お年にもかかわらず、さすが朗々たる歌声を披露された。あれは畑中先生最後の絶唱だったのではないか、と思っている。

 澤畑恵美さん、福井敬さんなど錚々たるメンバーや伸び盛りの若手歌手が毎回すばらしい歌声を聴かせてくれた。えっちゃんの伴奏である。時折サービスで独奏も聴かせてくれる。

 ある日の『えつこの部屋』でのことである。会場で販売されていた、えっちゃん伴奏の『イタリア歌曲集』のCDを購入した。「アマリリ麗し」など大好きである。席に着きCDを見ていると、隣の席のユージ君、これも同級生なのだが、「ちょっと見せてくれ」という。
「あっ、これ俺のおばさんだ。」
「誰? えっ松本美和子さん! 大ベテランじゃないか。」

 どうも「えっ」が」連続する『えつこの部屋』であった。残念ではあるが、2018年に第10回で『えつこの部屋』は終了した。

(失礼、「えっちゃん」はピアニストの谷池重紬子さんのことです。中学時代からのニックネームを使わせていただきました。)