萩原葉子『父・萩原朔太郎』その2

2. 三好達治のこと

 「晩年の父」に続き「幼いころの日々」というエッセーが収録されている。さすがに著者の筆は、少女のものではなく、文章家のものに近づいているように思われる。
 私はその中で三好達治が登場する、次の場面が大好きであった。この詩人の人格にたいする私の認識はこの文章に大きく影響されたと言っていい。
 最初の筑摩版を引用する。

 雨の日には、近くに下宿していた若い三好達治さんは、母のいいつけで、よく私の学校まで傘を届けてくれる。三好さんが、赤ら顔でいつも袴をはき、ぬっと大きな顔を廊下の窓から出すと、いつからともなく、“三好のよっぱらい、三好のルンペン”などとみんなではやし出すのだった。すると、みるみる赤い顔は一層赤くなり、眉も目も口もみな下のほうへ下がり、今にも爆発しそうになったかと思うと、ウワッハッハッと、すっとんきょうの嗄れ声で笑い出し、そして象のように優しい目で、子供たちを見ながら“葉ちゃん、じゃ傘はここへ置いておくよ”というと、がっちり骨太の背中を見せて帰って行くのだった。

 中公版では次のように改訂されている。

 雨の日には、近くに下宿していた若い三好達治さんは、母の言いつけで、学校まで傘を届けに来てくれた。三好さんが、赤ら顔でいつも袴をはき、ぬっと大きな顔を教室の窓から出すと、いつからともなく、「三好のよっぱらい、三好のルンペン」などとはやし出すのだった。すると、みるみる赤い顔はいっそう赤くなり、眉も目も口もなくなり、今にも爆発しそうになったかと思うと、ウワッハッハッと、すっとんきょうの嗄れ声で笑い出すのだった。三好さんの顔が赤いからだった。「葉ちゃん、じゃ傘はここへ置いておくよ」と、優しい目で、子供たちを見ながらがっちり骨太の背中を見せて帰って行くのだった。

 私にとってはこれは残念な改訂である。どうしても改訂が必要だったとは思わない。眉も目も口も「なくなり」ではなく「みな下のほうへ下がり」でいいし、優しい目も「象のように」であってほしい。子供たちを見ながら「葉ちゃん……」と語ってほしい。「三好さんの顔が赤いからだった。」という説明も特に必要はないだろう。

 改訂版の悪口ばかり書いてきたようだが、初版、改訂版ともに私にとっては大切な本の一冊(正しくは二冊)である。

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