ふたつのアンダンテ~不協和音四重奏曲(3)

 前から気になっていたのだが、モーツァルトは不協和音の四重奏曲K.465の完成後、あのニ短調のピアノ協奏曲K.466をはさんだ2か月後に、K.467のハ長調ピアノ協奏曲を作曲しているのである。モーツァルトとしては珍しく近時点の作曲に、ともにハ長調、そして緩徐楽章はともにヘ長調のアンダンテを採用しているのである。

 弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465 1785年1月14日完成
      第2楽章アンダンテ・カンタービレ ヘ長調
 ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467 1785年3月9日完成
      第2楽章アンダンテ ヘ長調

それぞれに、モーツァルトでも最も「美しい」もののひとつといわれるアンダンテであり、誰もそのことに異論はないことだろう。ガードルストーンの分類では、協奏曲のものは「最後の『夢』のアンダンテ」と呼ばれるものであり、四重奏曲のものは「夢」あるいはそれにつづく「瞑想」的なものといえそうである。

 これらのアンダンテの「美しさ」はどこにあるのだろうか。ここでは主に不協和音四重奏曲のアンダンテ・カンタービレについて検討してみたい。
 このアンダンテ・カンタービレについては、解説書などには簡単に「展開部を欠いたソナタ形式」、もう少し詳しいものでも「再現部は変奏を伴う」程度のことしか書かれていない。確かに大雑把にはモーツァルトがよく使った「展開部を省いたソナタ形式」ではあるが、ことはそう単純ではない。一応「展開部を欠いたソナタ形式」という枠に沿って、音楽の流れを見てみよう。

 4+4+4小節で均整の取れたヘ長調の第1主題の後、それとは無関係な独立性の強いハ長調の4音のモチーフの補助主題が現れ、次々と属調に転じつつ連鎖する。通常ここは第1主題の展開的なものが続くところである。さらにチェロが先導する神秘的な第2主題に入る。本当にこれがハ長調だろうか、変ホ長調、イ長調などに転じつつ、明るい陽射しのコデッタにつないで「提示部」を終える。縮約された「展開部」に入るが、これが何と、4音モチーフの補助主題なのである。その音型が1小節ごとに上昇し、冒頭が大きく変奏された第1主題により「再現部」に入る。ここで注目されるのは、補助主題パートが大きく拡張されること、さらに第2主題は1オクターブ下で反復され、その神秘度はさらに強められることである。
 これは変奏されたコデッタから最後のコーダへとつながるのだが、これがまた補助主題の4音モチーフなのだ。しかしそれは第2ヴァイオリンが奏で、その上を“天上の”という形容も許されるような旋律がこの楽章の終わりへと導いていくのである。
 この4音モチーフのフレーズはいったい何なのだろうか。上では補助主題と呼んだがこれはれっきとした独立の主題と見なすべきであろう。第1主題をA、4音モチーフのフレーズをB、第2主題をCとすると、この楽章全体は、

   A―B―C―B―A―B―C―C‘―B

と、主題をコデッタでつなでいっているだけのもので、ソナタ形式の論理には収まりきれない。そして全体を貫通するのは、Bの4音モチーフによるフレーズなのである。これは最後のコーダも含めると、楽章全体115小節のうち46小節、ほぼ半分近くを占めているのである。コーダを除けば、4音モチーフは上下を繰り返すだけで、ほとんど旋律的要素を持たないのだ。どうしてほぼ半分で旋律的要素のない曲がこれがそれほど「美しい調べ」と響くのだろうか。Bは水面である。その上をAの主題が浮かび、Cの主題はその下に、C’はさらに深く潜み、そこから水面に浮上する。

 一方、ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467のヘ長調アンダンテを見てみよう。これは通常三部形式で片付けられてしまうことが多いが、ガードルストーンがそれを「自由な形式」と分析しているのを読んでいただければ十分だが、その音楽の運びは常識的なものではなく、小さなもモチーフをジグソーパズルのように組み合わせつつ、全体では三部形式的な形におさめているのである。ソナタ形式の主題推移順をある程度保持している不協和音四重奏曲のアンダンテ・カンタービレ以上に、その音型の推移は自由である。

 ここからは素人考えではあるが、人間の感性の様式(感性の形式という人もいる)があるとすれば、K.465やK.467のアンダンテでは、モーツァルトはその感性の様式に沿って音楽を進めているように感じるのだ。そこでは展開部のような人工的なものは不要と見えただろうし、もっともその論理にあったモチーフの組み合わせによる進行を探ればいいだけだったのではないだろうか。そして、その音楽を、既存の古典的音楽形式との調停をはかっているように感じられるのである。そしてこの二つのアンダンテでは、その実験を行っているように感じられるのだ。

 モーツァルトは、よく言われるような形式主義者でも形式破壊者でもなかったと思う。大胆な「規則破りの天才」と言われることもあるが、規則を破っても、人間の感性には反することはないのである。そして、それを音楽形式と調和させることのできた形式調停者だったのだ。その最良の例が、このふたつのアンダンテなのだと思っている。