モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲K.423,K424 (1)

 小林秀雄が『モオツァルト』を書き終えた数年後に、ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲が好きでよく聴いている、と書いていたか言っていたか、記憶があいまいになってしまった。が、ともかく1960年ころにこの曲をよく聴いていたというのには驚かされる。というのも、この頃は録音がほとんどなく、少なくとも国内で発売されているレコードは無かったのではないかと思うからだ。一体どの演奏を聴いていたのだろうか。この頃録音されていたのは、シモン・ゴールドべルグのものだがこれは1930年代のSPで、LP復刻はされていなかったと思う。せいぜいハイフェッツの1曲か、もしくはボベスコのものが出ていたかどうかだが、はっきりしない。小林秀雄という人は、やはり大のモーツァルト好きだったようである。素直にもっとモーツァルトのことを書いていてくれたらよかったのに、と残念に思う。

ミヒャエル・ハイドンの4曲

 本題に入ろう。この2曲の二重奏曲は、委嘱された6曲を完成できなくなったミヒャエル・ハイドンのために、残りをモーツァルトが代作したものである。ハ短調のミサ曲K.427を作曲したザルツブルグ滞在時のことである。
 M.ハイドンの音楽感性はモーツァルトと近いとも言われている。全6曲を聴きたいとの思いはあったが、録音されるのはモーツァルトの2曲ばかりで、M.ハイドンの4曲はほとんど聴く機会もない。モーツァルトのもに比べて大きく劣っているのだろうか。しかしそれならばモーツァルトは代作をするほどの親交を結ばなかっただろう。あるいはモーツァルトほど知名度が高くないために売りにくいという商売上の問題からだろうか。

Magub, Busbridge
M.Haydn Duo for Viokin & Viola

 初めてその4曲を聴くことができたのは、今世紀に入ってからのことだった。出始めると出るもので、4、5種類もの録音が立て続けに発売されたと思う。最初に購入したのは、ウィーン・フィルのヒンク親子のものだ。全6曲の完全版である。ただ演奏はあまり好きになれない。やや脂肪過多の「音びたし」で重い。ロンドなどではあのポール・チェインバーズの「のこぎり引き」を思わせるところもある。買い損ねた。
 口(耳?)直しに別の一組を買ってみた。日本ではその名を知られていない、マヤ・マガブ(vn)、ジュデス・バスブリッジ(va)という英国女性たちである。これはすっきりしていて聴きやすい。彼女らのM.ハイドンはいい演奏だと思ったが、モーツァルトの2曲はややくせのある演奏で、わざわざこのCDで聴く必要はないと感じた。

 M.ハイドンの4曲を聴いてみよう。
 第1番ハ長調は次のように開始される。

M.Haydn Duo for Vn & Vla
第1楽章 第1主題

 確かに旋律はモーツァルトやクリスティアン・バッハなどを思わせる、親しみやすく好感を持てるものである。しかしながら、モーツァルトの2曲に親しんだ耳には絶対的に物足りないものがある。この開始部から第2主題、展開部、再現部と聴いていくと、ヴィオラがリズムを切る以上のことをほとんど行っていないことに気づかされる。第2楽章でもこれは同じ、ずっとこの調子なのである。第3楽章のロンドになって初めて、そのリフレインでヴィオラが対位法的に活躍するのだが、ヴァイオリンは、ヴィオラに主旋律に関与することを絶対に許さない。


 すなわちこの曲の絶対的な物足りなさとは、単純な伴奏を超えた「協働」、ヴァイオリンとヴィオラの「インタープレイ」が欠如していることなのである。これは第2番ニ長調でもそうである。
 第3番ヘ長調、第4番ホ長調では、対位法的な扱いにより両者の協働はやや深まるとはいえ、やはりヴィオラが主旋律に関与することは全くないのだ。

 このM.ハイドンの二重奏曲を聴いていると、あたかもバロック時代の通奏低音つきのヴァイオリン曲や、トリオソナタを聴いている錯覚に陥ることがある。チェロによる通奏低音のついた独奏ヴァイオリンの演奏に聴こえる時もあるのだ。一言で言えば、M.ハイドンのこれらの曲は「時代遅れ」なのである。

 一方モーツァルトのこの時期は、あのハイドン・セットの弦楽四重奏曲やミサ曲ハ短調K.427などが作曲され、またいよいよウィーンでの一連のピアノ協奏曲の幕が上がる時期なのである。また、セバスチャン・バッハに出会ったことで、対位法的な技術が格段に上達した時でもあった。モーツァルトの生涯の中で、最も豊かな音楽的挑戦がなされたのがこの時期であると言っていいだろう。2曲のヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲にも、この時期特有の音楽的な試みがいろいろと込められているのである。しかし、多くの解説書など、名曲であることを認めつつも扱いが実に「軽い」のだ。解説を書く専門家は「聴きどころ」をもっと明確に示すべきである。

 次の稿では、このモーツァルトの二重奏曲について、少々詳しく聴いてみよう。

 (M.ハイドンの曲について悪口ばかり語ってしまったが、私はこの4曲を嫌いではない。これらの曲の「気持ちよさ」は、気楽に流しておくには最適である。)

K.423,K424 (2)に続く