清水婦久子著 『光源氏と夕顔―身分違いの恋―』 その2 新典社新書 2008年刊

■ 冒頭歌のを源氏はどう読んだのだろうか

 このような夕顔という女性に対して、娼婦性がある、あるいは娼婦であるという見方は、ただこの巻の最初の夕顔の歌を、すなわち、

心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花

をどう解釈するかということから生まれてくるのである。

 清水氏のあげる、代表的注釈書の引用を再引用させていただこう。

〇あて推量にあの方かとお見受けします。白露の光をそえる夕顔の花―夕影の中の美しい顔を
   (1970年:小学館日本古典文学全集 阿部秋生、秋山虔、今井源衛校注・訳)

〇当て推量ながら、源氏の君かと存じます、白露の光にひとしお美しい夕顔の花、光輝く夕方のお顔は。
   (1976年:新潮日本古典集成 石田穣二、清水好子校注)

〇推量ながらあなたさま(源氏の君)かと見るよ、白露の光をつけ加えている夕顔の花を。
   (1992年:岩波新日本古典文学大系 柳井滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注)

 これらを清水氏はA説(通説)と呼ぶが、基本的には三者ともに同じ解釈である。あて推量ではあるが、白露の光に輝く夕顔の花=源氏の顔で源氏の君と見破ったというのだ。これには従来から疑義が呈されていたものである。それは、女の方から積極的に「はしたなく」あるいは「あつかましく」源氏に歌いかけるという失礼な行為が、この巻に描かれた極度にはにかみ屋で内気な夕顔という女性の性格と矛盾するからである。批判は、このことに集約されるようで、清水氏もこの点はA説の欠陥であるとされている。

 しかしながら、もしA説が正しいとすると、さらに大きな物語上の矛盾が生まれるのではないか。

 光源氏は物語上は和歌の最高の上手である。もしA説(通説)が正しいとするならば、「心あてに」の歌を見た段階で、己の正体を女に見破られたことをその歌から理解しえたはずである。しかし物語の中では、源氏はひたすら己の正体をかくし続け、最後の応答歌で初めて己の正体を明かす、論者によっては「覆面」を最後にはずすのだ。そこで演じられるのは「源氏の顔は大したことはない」という、この巻を茶番としてしまう、戯れの応答である。

 夕顔巻というのは、巻自体がその主題は深刻であり、玉鬘十帖の出発点として源氏の人格形成の上で、極めて重要な意味をもつ巻である。決して茶番劇であってはならないのだ。
 結局夕顔は、六条御息所の生霊に取り殺されてしまうことになるのだが、なぜ夕顔は殺される必要があったのか。六条御息所の生霊が命を奪った女性は、この夕顔と葵上の二人である。葵上は車争いの怨念のみならず、源氏の正妻として子を生した女性であり、夕顔は源氏が心からの愛情を注いだ女性であるからでり、六条御息所にとって自らの源氏への愛を妨げる、殺すべき「価値」のある女性だったのだ。決して夕顔は娼婦などではないし、娼婦性などもここに見てはならないのではないかと思う。

■夕顔歌、その他の説

 さらの玉上琢彌の説として次『源氏物語評者』の一節が紹介されている。

「白露」は主格。君の御光によってとくに花が開く意。(訳)あて推量ながら、あるいはと存じまする。白露に光る夕顔の花、光輝くあなた様はもしや……。

この玉上節に清水氏は次のように解説を加える。

「夕顔の花」を輝かせる白露の光を光源氏としている……通説との違いはわかりにくい。「それかとぞ見る」を、源氏の正体を言い当てたとする点はまったく同じだから、多くの読者はもちろん、一部の学者でさえA説とB説との違いに気づかない。 しかし、この二つは明かに異なる。通説(A)の「夕顔」が源氏の夕方の顔であったのに対し、『評釈』の説では、「夕顔」に光をそえたのが源氏で、その「白露の光」を源氏だと言い当てたというのである。

さらにこのB説を展開した1986年の岩下光男の説(訳)を紹介している。

こんな賤しい家に咲いている風情のない夕顔の花に、光彩を添えて美しく見せる白露の光、そのように、こんな家に住んでいる私のようなものにさえ、面だたしさと美しさを添えてくださるようなあの光、それは、光の君と推し量られることでございます。

 しかしながら、この『細流抄』にはじまるB説に対して強烈な批判を行ったのが、本居宣長なのだ。『細流抄』(1514年)の主張とは、

心あてにとは、をしあてにてと也。源氏にてましますと推〔スヰ〕したるによりて、花の光もそひたると也。

 これに対して宣長は『源氏物語玉の小櫛』で次のように批判する(『湖月抄』より引用)。

源氏君をを夕顔の花にたとへて、今夕霧に色も光もそひていとめでたく見ゆる夕顔の花は、なみなみの人とは見えず、心あてに源氏君かと見奉りぬと也。三泗の句は、白露の、夕顔の花の光をそへたる也、露の光にはあらず。細流に、源氏と推したるによりて花の光もそひたると也とあるは、いみじきひがごと也。二の句のてにをはにかなわず。

 宣長の「二の句のてにをはかなわず」、すなわち文法的に誤りであるという指摘、すなわち「それかとぞ見る」の目的語は「夕顔の花」と見るのが文法上正しいという主張が、絶対的に後世の解釈を呪縛してしまい、ながくA説が通説としてこの夕顔巻の解釈を支配してきたのだ、と清水氏は論証されている。

 またその外、C説として、夕顔は源氏ではなく、頭中将と見誤ったのだという説を紹介している。旧来からあった説らしいが、近年では黒須重彦の主張する説である。清水氏のこの著作で詳しく紹介されているが、この説が物語の中で多くの矛盾を起すことは、素人の我々にさえも明白であるため、ここでは扱わない。

■ 清水婦久子氏の批判の根底

 清水氏は、本居宣長からA説(通説)に至るこの夕顔巻の解釈の根幹にある欠陥を、「和歌の伝統」ということを無視した結果である、とされる。一例をあげると、宣長~A説はかんぴょうの素材でもある、風情もない賤しい花である「夕顔」を高貴な源氏の顔に譬えているが、和歌の伝統においては、このような下賤なものを高貴なものの譬えとすることは絶対にないと言われるのだ。
 この「和歌の伝統」を踏まえたうえで冒頭の夕顔歌を解釈しなおす中から、D説が見えてくる。さらにそれの解釈に科学的な実証的な検証を加えていかれるのである。次回はこの「正しい」D説についての清水氏の論証を紹介したい。