うめちゃんのこと

 うめちゃんは突然私の席にやってきた。仕事中である。
「Gちゃん、あなたモーツァルトが好きなんだって」
「そうですが……」
「今月N響がモーツァルトのピアノ協奏曲をやるんですよ。一緒に聴きにいきませんか。私、二席もってましてね、いつも誰かお誘いして行くんです。」
ということで大先輩のお誘いに乗り、NHKホールへと出動した。

 最前列を占めたうめちゃんは、                                                                   
「私ね、ピアノは女性しか聴かないんですよ。女性ピアニストが陶酔して弾く顔、あれを見るのが好きでしてねぇ。一番前が一番よく見える。」
 それ以降交替で最前列の切符を手配し、女性ピアニストの演奏会、というよりも陶酔会を見に行くことに相なった次第である。演奏する手が見える中央左がよかったのだが、顔の見える中央右がいいと言ううめちゃんに妥協した。

 それは音楽の友ホールで、確か仲道郁代さんの演奏会だったと記憶しているが、いつもの如く最前列で陶酔会が始まるのを待っていた時のことだった。当時のベストセラー『赤ずきんちゃん気をつけて』に出てきそうな、白いベレー帽のかわいい女の子が目の前をすぅっと通って行ったのだ、背筋をぴんと伸ばして。ヴァイオリンをやっているらしく、小脇にケースを抱えていた。
 うめちゃん曰く、「Gちゃん! 僕らもヴァイオリン・ケースを買おうよ! あれで会社に行く! 」もちろんお断り申し上げたが、うめちゃんもケースを小脇に出勤していた気配はない。

 うめちゃんがカントリー&ウェスタンのグループで、リズム・ギターをやっていることを噂で知った。
「ギターを弾けるなんて知りませんでしたよ。」
「いや実は弾けないんですけどね。ズンチャカやってればいいって言われたんですよ。あの帽子をかぶってみたくってねぇ。」

 しばらくたったある日、久々にうめちゃんに会うと、「Gちゃん、私ねぇ、今度大正琴を始めましてね。あれ、なかなかいいもんですよ。」

 今天国で、相変わらず陶酔会に出かけているかしら。ズンチャカはまだやってるのかしらん。大正琴の腕はあがったかしら。

 うめちゃんは私が人生で出会った、最も「いいひと」の一人である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です