ハイドンは面白い

 知らないことについての否定的な話ほど、人を呪縛する力が大きいものだ。小林秀雄のハイドンに関して「モーツァルトを聴いた後にハイドンを聴くと、中味のからっぽな人間のように感じる」という意味のことを語っていたが、その言葉は長い間私のハイドン観をゆがめてしまった。ソナチネ集やソナタ集などで、練習に苦しめられた記憶も影響したに違いない。

 昔、NHKのFM放送で土曜日の午後に「リクエスト・アワー」という番組があった。おそらく関東圏の放送だったのだろうと思う。学生時代のある日、内田光子の演奏するハイドンのピアノソナタが放送された。それはソナチネ集にあるやさしいソナタで、NHK初のデジタル録音とのことである。当時、内田光子すなわちショパンのイメージが強かった私はちょっと意外な感があったが、その演奏はまさに衝撃だった。彼女は鼻歌を歌いながら、実に溌剌と、無心に楽しそうに演奏していた。ちょうどイギリスに移る直前の録音だそうだ。これを聴いて私のハイドン観は全く変わってしまった。ぜひモーツァルトをこのように弾いてもらいたい。小林秀雄の言葉を信じるなら、このハイドンを聴いた後のモーツァルトは、もう人間味に満ち満ちて溢れかえるほどのものになるに違いない。

 そして十年後くらいだったろうか、ついにモーツァルトのピアノソナタのレコードが発売された。聴いて驚いた。それは無心に楽しいハイドンとは大きく異なった、よく言えば繊細、悪く言えば神経質に過ぎるモーツァルトであった。この人は何しにイギリスに行ったんだろう、などと残念な思いをしたことを覚えている。

 ハイドンのピアノソナタの「私のお気に入り」はワルター・クリーンのものである。コロンビアの千円廉価盤で聴いて驚いた。再発されて買いなおしたが音が悪くなった。VOX原盤の録音は正規の形ではCD化されていない。今聴けるのはクアドロマニアの4枚組ハイドン・ピアノソナタ集、その中の2枚がクリーンの演奏である。例えば第34番ホ短調を聴いてみて欲しい。クリーンのモーツァルト・ピアノソナタ全集も評判のいい演奏だが、これはそれをはるかに凌駕していると思う。クリーンの演奏でハイドンを聴いた後にモーツァルトのソナタを聴くと中味がからっぽな人間に感じるとさえ言いたくなるような演奏である。我が人生でハイドンのピアノソナタはクリーンのもので「おしまい」である。フー・ツォンなども聴いてみたが、つまらない。その外はよく知らないが、かまわない。

ワルター・クリーン(p) ハイドン::ピアノ・ソナタ第34番ホ短調 第1楽章

 弦楽四重奏もよく聴くようになった。「ひばり」や「セレナーデ」などは今だによく聴いている。先日吉田秀和著『私がモーツァルトにきいているもの』の文庫本が出た。その中での「ひばり」冒頭の説明は、アマチュアにも非常に分かりやすい名解説である。すばらしいと思っているところがすべてやさしい言葉で表されている。低弦部が一歩一歩歩み始める中、第1ヴァイオリンが主題を奏で始めるあの瞬間。これはもうイタリア弦楽四重奏団のものしかない。悠揚迫らない、あの独特の歌う四重奏。これも、これで我が人生での「おしまい」である。

 交響曲その他ではまだそのような経験はない。見つかる可能性は残された私の時間の問題である。

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