山元タクシーさん

 若かった頃、連日深夜残業が続くことが当たり前だった時代のことである。日付も変ってようやく帰途に着く。電車はもう無い、タクシーである。

 ある日、客待ちをする個人タクシーをひろった。
「どこどこまでお願いします。」しばらくすると運転手さんが、「お前さん、九州かい?」と尋ねる。わりにぞんざいである。
「ええ、そうですが。なぜ分かります?」
「アクセントだよ。この商売だろ、九州出だとたいていわかる。」
「宮崎なんです。」
「ああ、俺も宮崎だよ。小林だ。」
「私は宮崎市ですよ。」
「宮崎市かぁ。俺も若い頃よく行ったな。親が野菜を運ぶ運送会社やっててな。車を何台も使っていたんで、よく宮崎に車の文字入れに行ったよ。〇〇〇看板店って言ったかなぁ。」
「その〇〇〇看板店って、私のうちです! 父がやってました。」
「本当かい、こりゃあ奇遇だ。親父さんは元気かい?」
「もう数年前に亡くなりました。」
「面白い親父さんだったよな。そう言やあ、ちっちぇえガキがウロチョロしてたなぁ。あれがお前さんかい。」
「そうです。」

 まさか東京で自分でも記憶のない幼少時代を知っている人に偶然出会うなど、考えてみたこともなかった。日本も狭いものである。その後2回ほど乗せてもらった。「いつもこんな遅くまで大変だな。体に気をつけろよ。」と心配してくれたりする。仕事がお休みの時にでも一杯やりましょうよ、ショーチューですね、などと言って降りた。

 その後なかなか乗せてもらう機会がない。いつもの乗り場で別の運転手さんに、
「山元タクシーさんに時々乗せてもらうんですが、最近見かけないですね。」
「ああ、ヤマゲンかい? あいつ死んだよ。気さくないいヤツだったよ。」

 そのほかいろいろ話されていたのだが、何も覚えてない。悲しい思い出になってしまった。

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