チャンドラーのモーツァルト その1
レイモンド・チャンドラーの『かわいい女(原題Little Sister)』に、モーツァルトが登場するくだりがある。もう随分前のことになってしまったが、それを引用してモーツァルトに関する駄文を書いたことがある。その頃読める唯一の翻訳が清水俊二のものであった。第30節である。警察に捕らわれたマーロウを監視する警官とカード遊びをやっている場面である。モーツァルトに関する部分のみを抜くと、
あまりものをいわなかったが、しゃべるとやわらかい声だった。そして笑うと、部屋じゅうがあたたかくなった。
‥‥(略)‥‥
「君の道楽はなんだね」と私は訊いた。
「ピアノを弾くんだよ。頭が古くてね。モーツァルトとバッハが好きなんだ。モーツァルトはいいぜ。単調のようだが、すばらしい」
「誰がうまいだろう」
「シュナーベル」
「ルビンシュタインは‥‥‥」
「感情がはいりすぎる。モーツァルトは純粋な音楽だ。演奏者の解釈は要らない」
‥‥(略)‥‥
彼はまた、カードを動かして、指を軽くまげた。爪が美しく、短かった。指を動かすことが好きなようだった。なんの意味もなく、無意識に動かすのだが、柔らかいウールのようになめらかで、軽かった。こまかく、微妙におこなっている感じだった。だが、弱々しくはなかった。たしかにモーツァルトだ。私にはよくわかった。」(清水俊二訳 創元推理文庫)
その頃『さらばいとしき女よ』だけが収録されていないチャンドラー長編全集という変なペーパーバックがペンギンから出ており、原文と較べてみて、清水訳に相当大胆な省略等があるのに驚いたことを覚えている。
引っ越し時にペンギン版を処分したので、Kindle でダウンロードした版から当該箇所を抜粋する。
He didn’t speak much, but when he did he had a nice voice, a soft-water voice. And he had a smile that warmed the whole room.
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“What do you do in your spare time?” I asked him.
“I play the piano a good deal,” he said. “I have a seven-foot Steinway. Mozart and Bach mostly. I’m a bit old-Fashioned. Most people find it dull stuff. I don’t.”
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“You’d be surprised how difficult some of that Mozart is,” he said. “It sounds so simple when you hear it played well.”
“Who can play it well?” I asked.
“Schnabel.”
“Rubinstein?”
He shook his head. “Too heavy. Too emotional. Mozart is just music. No comment needed from the performer.”
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He moved another card and fixed his fingers lightly. His nails were bright but short. You could see he was a man who loved to move his hands, to make little neat inconspicuous motions with them, motions without any special meaning, but smooth and flowing and light as swansdown. They gave him a feel of delicate things delicately done, but not weak, Mozart, all right. I could see that.
最近、チャンドラー全長編を村上春樹氏が翻訳した。文庫にもなったものを順次読み始めている。同箇所の村上訳を引用すると、
「彼はあまりしゃべらなかった。しかしたまに口を開くと、聞えるのは心地よい声だった。柔らかな水のような声だ。そして部屋全体が温かくなりそうな微笑みを浮かべていた。
‥‥(略)‥‥
「余暇にはどんなことをしているんだ?」と私は彼に尋ねた。
「暇があればピアノを弾く」と彼は言った。「2メートル10センチあるスタインウェイを持っている。弾くのはたいていはモーツァルトとバッハ、昔のものが好きんなんだ。大抵の人は退屈だと思っているようだが、私はそうは思わない」
‥‥(略)‥‥
「モーツァルトのいくつかの作品は想像を超えてむずかしい」と彼は言った。「うまく演奏された時、それはどこまでもシンプルに聞こえるんだ」
「誰がうまく弾く?」
「シュナーベルだ」
「ルービンシュタインは?」
彼は首を振った。「重すぎる。情緒的に過ぎる。モーツァルトはそれ自体が音楽なんだ。演奏者からのコメントは無用だ」
‥‥(略)‥‥
彼はもう一枚のカードを動かし、指を軽く曲げた。明るい色をした爪は短く切られている。手を動かすのが好きな人間であることは、一目でわかる。手の目立たないちょっとした動き、なんということもない動作が、白鳥の綿毛のように滑らかで軽く、まるで流れるようだ。繊細に処理された繊細なものごと、一連の動作は彼にそんな印象を与えていた。でもそこに弱さはない。モーツァルト、そのとおり。言い得て妙だ。(村上春樹訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)
清水俊二という人は映画の字幕翻訳を専門にやってきた人だそうである。チャンドラー翻訳の文体も、そう、映画の字幕なんだと気づいた。初めてチャンドラーを読んだのはハヤカワ・ミステリーの田中小実昌訳『高い窓』だったと思うが、これが「です・ます」訳なのである。清水訳を読んだ時の衝撃は今も覚えている。全くの別世界であった。この清水訳の文体こそがハードボイルドであると刷り込まれてしまっていたのだ。
これはSUさんにきかなければいけないと思っているのだが、チャンドラーの文体自体は、清水訳ほど“ハードボイルド”ではないのではないか。村上訳を読んで、そう確信するようになった。村上訳は非常に律儀に、一句たりともおろそかにしていない。英語に堪能ではない私でも、チャンドラー原文の持ち味が素直に日本語に移されているように感じる。
よく言われることだが、清水訳は清水俊二の創作的性格が強いものとさえ言えるものかも知れない。しかし、私はやはり清水訳も好きである。清水訳、村上訳、併せて書架に収めておきたいと思う。