ウィンナ・シュランメルン その4

4.Ensemble Weinが続く

ウィーンみやげ

 95年を最後に、録音活動を終えたビーダーマイヤー・アンサンブル・ウィーンの後を継いだ形になったのが、パウル・グッゲンベルガーが主宰したアンサンブル・ウィーンである。グッゲンベルガーという人はリング・アンサンブルの創始メンバーで、それをキュッヘルに譲った 後にこのグループを編成した、とのことである。
 CDで5枚録音されているが、私が聴いたのは4枚である。最初のものは90年の『ウィーンみやげ』、91年の『祝典のワルツ/ワルツ・ポルカ集』でCBS Sonyの録音である。97、8年ころにKOCH.Schwannから『The Waltz King Vol.1』、『New Year’s Concert’99』というCDが録音されている。前者にはVol.2もあるらしいが未聴、後者はウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートとは関係ないTV放送録音である。前期と後期では第2ヴァイオリンとコントラバスのメンバーが交替している。

祝典のワルツ/ワルツ・ポルカ集


 前期の2枚はビーダーマイヤー・アンサンブル・ウィーンをかなり意識しているようで、ありがたいことにここでしか聴くことができない曲も多く、J・ランナーの息子、アウグスト・ランナーの曲なども取り上げられている。グッゲンベルガー他、ギュンター・ザイフェルトがヴァイオリンで、ペーター・ゲッツェルがビオラと、ウィーン・フィルの名手ぞろいであるが、このグループで面白いのはコントラバスのヨーゼフ・ピツェックという人がジャズ・ベーシスト出身だということである。ただ、このことが演奏にどれほど影響しているか、私には聴きとることができない。
 ビーダーマイヤー・アンサンブルの流れを受け継いでいるようで、演奏は〈5:5〉のゴールデン・バランスに近いと思うのだが、録音もあるのだろう、曲によってはリズム・セクションが引っ込みぎみで、それだけに若干弾性が弱いと感じる時もある。

The Waltz King Vol.1


 後期の2枚を聴くと、前期のものから演奏の傾向が変わった感じを受ける。グッゲンベルガーも晩年だと思うが、ヴァイオリンの闊達さはさすがではあるものの、息の短いボウイングが増えているようだ。全般的にアタックの強さやテンポの特異さが目立ちがちになってくる。特に『New Year’s Concert’99』を聴いていると、その演奏の奥にあのカルロス・クライバーのニューイヤー・コンサートの演奏がかすかに響いているように思われるのだ。

New Year’s Concert’99

 グッゲンベルガーという人は、ビーダーマイヤー・アンサンブルの完璧さの後で、さらにクライバーのあの演奏に刺激されたのだろう。何か新たなことをしなければならないという脅迫概念でもあったのだろうか。モーツァルトのK.334のディベルティメントでも、その第2楽章の第1変奏、フィーツのウィーン八重奏団が1分10秒かけているのを、このグループは37秒で奏するという「暴挙」をやってのけた人である。1.3倍の速度でも猛烈に速いと感じるものである。私はCDプレーヤーが壊れたのか、と思わずオーディオ・セットに駆け寄ったほどである。


 あるいは、このジャンルはもう煮詰まってしまったのだろうか。アンサンブル・ウィーンはメンバーを変えて引き継がれているが、私はその後を聴いていない。

5.ヒンクの四重奏団は

 ウィーン・フィルのコンサート・マスター、ヴェルナー・ヒンクの室内楽形式でのウィンナ・ワルツ集である。『ウィーンの森の物語』というCDのウィーン弦楽四重奏団名義での5曲がヒンクのリードするものである。他のメンバーの五重奏。六重奏のものも収録されているが、ここで触れない。

ウィーンの森の物語

 ウィンナ・シュランメルンとして聴くと、大きな欠点がある。それはコントラバスではなく、チェロを使っていることである。なぜチェロではだめか。チェロという楽器がこれほど「おしゃべり」な楽器だとは初めて気づいたのだが、ウィンナ・シュランメルンでのおしゃべりは第1ヴァイオリンだけで十分である。うるさすぎる。さらに、チェロのおしゃべりが内声部の「無音の間」を塗りつぶしてしまうため、それが持つ弾力が大きくそがれてしまう。編曲のせいもあろうが、センスが悪い。

 キュッヘルと同様、ウィーン・フィルのコンサートマスターのシュランメル・スタイルのものは、どうしてこうだめなのだろうか、不思議に思っていたのだが、ヒンクのインタビューをまとめた『ウィーン・フィル コンサートマスターの楽屋から』(小宮正安 構成・訳 ARTES)を読んでよくわかったことがある。ウィーン・フィルのコンサートマスターというのは、役所の企画調整部長みたいなもので、楽団とよそ者指揮者の音楽性、指向性の調停役なのである。すなわち、ウィーンの伝統性と現代性の調整も担っているのだ。バリリ以降、多くのコンサートマスターが、必ずしもウィーン伝統色一辺倒ではなく、かえって現代性に傾いているのも納得できる。シュランメル・スタイルでの演奏にはそれが必ずしもいい形で出てはいないと感じている。

 おそらく、ここあたりでウィーン・フィルのメンバーによるウィンナ・シュランメルンは終焉に近いのだろう。ビーダーマイヤー・アンサンブルの高みは越えられることはなさそうである。あれが頂点だったのだろうか。

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