リヒテルのこと
ソ連の「幻のピアニスト」と言われたスビャトスラフ・リヒテルの初来日は、昭和45年の大阪万博の時である。彼の演奏するリストのピアノ協奏曲のレコードを買ったのは、そのころから発売されるようになった廉価盤であった。廉価と言っても当時の高校生にとって千円はなかなかの大金である。特にリストの協奏曲を聴きたかったわけでもなかったが、たまたまレコード屋に並んでいた万博で評判の「幻のピアニスト」の廉価盤、これは大金に値すると考えた結果がこのレコードなのだ。曲や演奏に特に感動した記憶はない。ただ、やたらとトライアングルが鳴りまくっていたのを覚えているだけである。
しかしながら、何より驚いたのは、ジャケット写真のリヒテルの右手である。親指がレ、人差し指がオクターブ上のレのフラット、さらに薬指か小指が、おそらくはソあたりを押さえている。私の手は日本人としては標準の大きさだと思うが、親指と人差指でそういう押さえ方をすると、中指から小指までは鍵盤から外にはみ出してしまう。リヒテルの手は、恐ろしいほどの大きさなのである。ラフマニノフは2オクターブが届いたという話を半信半疑で聞いていたが、本当かも知れないと思い直したのを覚えている。
その後購入したのが、RCAの廉価盤『ベートーヴェン・ピアノソナタ第23番熱情』である。これは1955年に、ソ連と米国の間で実現した演奏家交換で、米国において録音されたものである。このとき、ギレリスもともに訪米しており、彼もRCAに録音を残している。
レコード針をおろした瞬間に、異様な音空間が広がる。数回の運命の動機が何者かの訪れを予告する。突然熱情が爆発する。リヒテルのピアノは熱情を超えて狂気の域に達しているのを感じる。静かながら秘められた熱が次第に高まっていく緩徐の変奏曲、それも突然フィナーレの爆発へと導いていく。そこはまるで嵐である。そして最後の一瞬のアインガングでの嵐の止み間の静けさの後、コーダでリヒテルはおそらくペダル全開のままなのだろう、グワンと共鳴しあう猛烈な音塊をまき散らして終える。嵐が過ぎ去った後の無音、誰も近づくな、動いてはならぬと言われているような沈黙である。
このリヒテルの熱情、ここにはベートーヴェンが書いた音楽を超えた何ものかが込められている。リヒテルの情念は感動などと言った生易しいものではない。残忍さに近いものを感じるほどだ。農耕文化のわれわれ日本人にとっては、そこには一種の恐ろしささえある。これは一体何なのだろうか。怖い物見たさ、いや聴きたさで、新たにCDを買いなおし、今でもたまに手を出してしまう。
話を元に戻そう。そのリヒテルが再度来日するという。昭和47、8年ころだったと思う。当時は入場券を入手するには、発売日に並ばなければならなかった。当時池袋にあった日本楽器に、朝早くから並び、またまた大学生にとっての「大金」を払って、S席を手に入れることができた。曲目はベートヴェンの最後の3曲のソナタであった。
演奏会当日、朝から何も手につかない。東京文化会館開場とともに入り席についた。ステージ上のピアノはYAMAHAである。今でこそ世界の超一流ピアノであるが、当時YAMAHAを弾く著名なピアニストなど、ほとんどいなかったと思う。少々意外な気持ちで開演を待った。
リヒテルが登場する。盛大な拍手である。
ひとりの女性が楽譜を持って一緒に出てきた。小学生に見える。リヒテルがピアノにつくと、その女性が譜面を立て、彼は胸のポケットから黒縁のメガネを取り出してかけた。えっ、楽譜を見ながら演奏するのか、なんだが騙されたような気になる。曲目のためだろうが、レコードの『熱情』の狂気のようなものは無く、より冷静な演奏ながら、やはりリヒテルの凄みを感じさせる演奏ではあった。
子供のように見える女性とともに、YAMAHAのフルコンサートのCFも非常に小さく見える。どの曲だったか覚えていないが、1オクターブの連打で彼は、親指と小指を垂直に立てて打ち下ろすのである。やはり、リヒテルはでかかった。このようなことばかりが記憶に残る演奏会であった。
後年、リヒテルがインタビューで、近頃暗譜していた楽譜を忘れてしまって困るという趣旨の発言をしていたが、それはもうこのころから始まっていたのかも知れない。楽譜を立てようが立てまいが、それは備忘録のようなものに過ぎなかったのだろう。今ならば、もっと違った聴き方ができただろうと思う。
最近、リヒテルがロシア人ではなく、ウクライナ人なのだということを知った。『熱情』に込められた「熱情」以上の情念、あれが何なのか、わかったような気がする。1930年代のロシアの収奪によるホロドモール、1915年生まれのリヒテルはその中で青春時代を過ごしたはずである。またドイツ人の父を持ち、ソ連時代は在留ドイツ人でしかなかったリヒテル、ロシアに対するとともにナチスへの怨念もそこにはあったことだろう。
リヒテルのあの『熱情』に込められたものは、そのようなものへの「怒り」だったのかも知れない。