『鳥の手帖』
松島と象潟、『おくのほそ道』表裏を代表する「美」の象徴の地である。松島では芭蕉は句を残さず、曾良が
松島や鶴に身をかれほゝとぎす 曾良
と詠んでいる。一方象潟では、芭蕉も
象潟や雨に西施がねぶの花
という巻中最高作のひとつとも言える句をものすると同時に、
汐越や鶴はぎぬれて海涼し
と詠み、「祭礼」の2句を挟んで、曾良の句も最後に
岩上に雎鳩の巣をみる
波こえぬ契りありてやみさごの巣 曾良
が採られている。
『ほそ道』で鳥が詠われているのは、この松島と象潟だけである。芭蕉にとって鳥は、何等かの「美」を象徴するものだったのだろうか。松島では「ほととぎすに鶴に身をかれ」と呼びかけ、象潟では鶴そのものが詠まれている。いずれも優雅で美しい鶴がイメージされているのだが、「笑うが如き」松島、「うらむがごとき」象潟、これは美の二様であり、鶴はその美を象徴するものではないかと考えたくなる。
表の旅では末の松山(契り)、塩がまの浦の入相のかね(人事)、松島の鶴(美)、裏の旅では「象潟や」の句以降は、象潟の鶴(美)、祭礼(人事)、岩上のみさご(契り)、とみごとに対称に構成されているのだ。
この最後の「みさご」の句は本当に曾良の作なのだろうか、『曾良旅日記』にも『俳諧書付』にもこの句はしるされていない。どうも芭蕉が構成上の必要から曾良に託した虚構の句のように思われる。一句たりとも無意味なもののない『ほそ道』である。鶴とは違い、みさごは決して美の象徴ではなさそうである。みさごには単に「契り」以上の何か特別な意味があるのだろうか、いろいろと疑問が出てくる。
そこで取り出したのが『鳥の手帖』(尚学図書編、小学館刊)である。三十年来私の愛読書になっている。これは毛利梅園の『梅園禽譜』からの図や、写真、解説と季語、異名、古今の用例引用、呼称の語源などを鳥ごとにかなり詳細にまとめた図譜である。梅園の図は精緻を極めている。梅園の図と、ともに収録している鳥の写真を見ると、その精密さに驚かされてしまう。めったに人の目にさえ捉えることの難しい鳥、例えば郭公、杜鵑、仏法僧、雷鳥など、どのよう観察したのだろうか。眺めているだけで楽しめるものだ。
「みさご」について見てみよう。
みさご(鶚・雎鳩)
ワシタカ科の鳥。全長六十センチメートル内外の大型の猛禽。背は暗褐色で、頭と体の下は白く、胸に褐色の斑点がある。海や川の近くにすみ、水中の魚を見つけると急下降してあしで捕える。外指が前後に反転し、指の裏にとげがあるのが特徴。世界に広く分布し、日本では留鳥として周年生息し、岩壁や樹上に巣をつくって繁殖する。
と解説されている。用例ではもちろん『おくのほそ道』のこの例もあげられているが、その他二、三の例を引こう。
万葉
水沙児〔ミサゴ〕居る沖つ荒磯に寄する波行くへも知らず吾が恋ふらくは〈作者不詳〉保元(物語)
『関々たる雎鳩、君子の徳をたすく』と。声やはらかなる雎鳩の河の洲にあってたのしめる体、幽深にして其器あるがごとし
梅園の図は、まさに鯰を捕えた瞬間を描いたもので、図譜の中でも最も優れたもののひとつだと思う。眼光の鋭さなど、写真ではとらえることが困難なリアリティさえある。そしてそれは決して象潟の美を象徴するものにはなり得ないだろうと思えるのだ。では、それは何なのだろうか。
素人考えではあるが、この「みさご」は、象潟や松島に代表される歌枕の旅、その審美の眼を切り捨てる意思の表明ではないか。前途の厳しさは、市振の遊女、親不知、金沢の「塚も動け」、小松の「あらむざんなや」はじめ、曾良や北枝との別れなど、江戸から象潟とほぼ同距離の道のりにもかかわらず、記事は極めて少なく、寥々たるものばかりである。その予感と覚悟、それを「みさご」に象徴させているように思えるのである。
梅園の雎鳩図には、そのような想像を掻き立てられる。
余談だが、キーンさんの英訳によって、みさごはオスプレイ(Osprey)というのだ、と知った。