ジョルジュ・シフラのグリーグ『ピアノ協奏曲』

 私の中学生時代、まわりの友人たちに音楽好きが多く、本格的に音楽に目覚めることになった。金持ちの家はいわゆるコンソール型ステレオなるものを、家具のように居間に据えていたものだが、私の家はやっと蓄音機で、ドーナツ盤やせいぜい17センチのLPを聴けるくらいで、また30センチのLPは、まだまだ高嶺の花でもあった。このような並の中学生にとって、音楽を聴くという行為の中心にあったのは、ラジオだった。中学入学とともに買ってもらったのは、ソニーの「トランジスタ・ラジオ」で、AMだけではなくFMを受信できる最新型であった。FMはアンテナを伸ばして聴くのである。

 その頃よく聴いていたのが『ルーテルアワー・夜の名曲』という、ルーテル教会提供の音楽番組だった。FM放送だと思っていたが、先日ネットで調べたところ、これは文化放送だったらしい。夜の11時くらいだったと思うが、確かではない。

 私の記憶に残っているのは、この番組で時々行われていた説教のようなものでもなく、また名曲の演奏でもなく、オープニングで流されていたグリーグのピアノ協奏曲の冒頭である。これが「ものすごくかっこいい」演奏だったのだ。

 高校生になって、このグリーグのピアノ協奏曲のLPを買おうと思い立った。我が家でも姉がステレオ・セットを買い、LPレコードもかけられるようになっていたのである。さっそく一番大きな楽器店に行き、ルーテルアワーで使われているグリーグの演奏のレコードを買いたい旨伝えたが、誰も知らない。そのかわり、店にある数種類の演奏を試聴させてくれるという。当時はまだLPレコードのビニール包装がされておらず、試聴することが許されていた時代である。数種類試聴したが、どれもぜんぜん違う。ルーテルアワーのものの「かっこよさ」がないのだ。ルービンシュタインやリパッティのものだったと覚えている。申し訳ないが、買わずに帰った。

 演奏者が判明したのは、就職して配属された上司が音楽好きだったからである。「あれは、シフラの演奏である」と教えてもらった。さっそくシフラのLPを購入し、恐るおそる針を下す。ん、違う。翌日上司に報告すると、指揮者が違うとのこと、どうも一つ古い録音だったらしい。私の買ったのは、シフラ・ジュニア指揮であったが、それではないとのことであった。すでに廃盤だった。

シフラ ヴァンデルノート盤

 当時私の職場は銀座にあり、数寄屋橋には『ハンター』という中古レコード店があった。帰りによくシフラのLP探しに行ったものである。なかなか見つからず、すっかり諦めていたのだが、何年もたったある日、ついにこのLPを発見した。昔ながらの東芝の赤い透明の盤、紙袋入りである。指揮はヴァンデルノート、オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団だった。
 さすがに針を下す手が震えた。あのグリーグの開始のピアノ、初期EMIの金属性の音、まさにルーテルアワーのグリーグだ。手だけではなく心も打ち震えながら、ルーテルアワーのオープニング分を終えた。その途端、ブチッ! それ以上針が進まない。私のグリーグのピアノ協奏曲はここまでと、運命づけられていたのだ。しかしそれで十分満足だった。

再発売CDセットより

 CD時代になり、この演奏がCD化されるのを期待したが、ほぼ忘れられた演奏らしく、なかなか出て来なかったのだが、数年前、シフラの演奏が著作権切れ10CDセットで発売された。この中に入っているのである。グリーグのルーテルアワー分しか聴かないことはわかっていたが、購入してしまった。
 冒頭をルーテルアワー式にフェイド・アウトさせてみた。ああ、こんな感じ、今でもあの男性のナレーションが途中から聴こえてきそうである。

ジョルジュ・シフラ(P) ヴァンデルノート グリーグ ピアノ協奏曲イ長調 第1楽章冒頭

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