海棠の狂い咲き

 今年はひどい夏だった。10月まで暑いなんてとんでもない天気である。猛暑に苦しめられただけではなく何度も変な風邪にかかり、一時は声が出なくってしまった。少々甘く見ていたのかもしれないが、どうやらそれらの風邪の中のどれかはオミクロンだったらしい。症状は比較的軽かったのだが、その後がいけない。時々排気ガスの匂いがする。気のせいかと思ったが、家の中でも頻繁にガスが立ち込める。そうなると何をする気力もなくなり、頭痛までする。どうやら後遺症らしい。煙の匂いがするという症例もあるらしいが、きっとこれに違いない。この話をすると笑われるが、本人は結構きついのである。

 しかしこの1、2週間、やっと症状が軽くなってきた。久しぶりに、ほったらかしにしていた植物の手入れをすることにした。今年の暑さは植物にとっても厳しかったようで、弱って枯れたものもある。申し訳ないことをしたなどと思いつつ、伸びすぎた枝落しをしていると、何と、海棠の花が咲いているのを発見した。狂い咲きである。
 海棠は、晩秋に25℃を超える日があると、間違って咲くことがあるらしい。確かにこの10月は連日夏日がニュースになっていた。

 11月11日、見つけた日、すでに八分ほど開いている。海棠はもともと中国産の木で、その花は、美人のメタファーになっていた。楊貴妃もこの海棠の花に譬えられている。確かにそのほのかなピンクは、変な言い方だが清らかな妖艶さを感じさせる。


 14日、満開だ。よく見ると花びらは結構皴っぽい。美人は遠目に限るというのは本当である。

その横にもうひと塊のつぼみが出ている。明日から家を留守にするのだが、開花を見れるだろうか。


 16日、悪天候で強風である。よく良寛さんが揮毫している詩の一節を思い出した。

     昨夜窓前風雨急
     和根推倒海棠花

室町時代あたりの禅の坊さんの偈らしく、難しい意味もあるらしいが、それはともかく、花が散ってしまわないか心配したが、戻ってみると、健気に頑張っていた。


 19日、さすがに最初の花は赤みが消えている。美人の顔色も衰えは速い。海棠の花は散り際が悪いである。“花の色” が衰えてからの姿は、哀れさを感じさせるものだ。小野小町の逸話も、花の散り際の悪さから生まれたものに違いない。美しい花ながら、海棠が日本人にいまひとつ人気がないのも、ここあたりに原因がありそうだ。咲いてよし、散ってよしの桜、宣長さんが大和心に譬えるのもむべなるかな、である。


 話が逸れてしまった。

 25日、後に出たつぼみが開花した。初々しくきれいである。

 最初の花の方はどうなったって? 美人の名誉のために、もう触れるのはやめておこう。

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